2人とも声がきれいで素晴らしいと書いていて、YouTubeからりりィは「私は泣いています」、カルメン・マキは「午前1時のスケッチ」の2曲が貼り付けられていた。
これを起き抜けの午前5時前の暗がりの中で聞いていたら何となくジィ~ンと来てしまった。
確かに声は透き通っていて、なおかつ伸びがある。
これまでは、どちらかというと陰影の濃い歌手だなぁと思っていただけなので、言われてみればきれいな声をしていて認識を改めた。
2人ともお日様の下を胸を張って堂々と顔を上げたまま、まっすぐ前を向き、胸を張って闊歩するような印象ではない。
どちらかと言えば、少しうつむき気味にして他人とは視線を合わさず、それでも、ちゃんと世の中で起きていることをしっかり見つめているような感じがする。
計算されたしたたかさという感じでもなくて、本能に近い身の処し方という印象である。
そして特にいいのが、正面切って抗ったり挑んだりってわけではないが、権力や権威といったものに絶対に媚びたりせず、自分が決めた道を風当たりを避けながら、ヨタヨタしながらも、ちゃんと歩いていこうという姿勢。
もちろん会話を交わしたことも無ければ実物を間近に見たことさえないのだから、何をかいわんやだが、印象を語るとすればこうなる。
カルメン・マキが1969年に紅白歌合戦に出て「時には母のない子のように」を歌った時はまだ17歳だったというから驚く。
寺山修司の主宰した天井桟敷に登場したばかりのころで、レコード会社の人の目に止まったらしい。
ボクはアメリカまで太平洋を往復する洋上大学船に乗るため朝夕新聞配達をしていた。あの頃は学生運動も花盛りで、大学側はロックアウトして学生を締め出してしまっていたのだ。
「時には―」の歌詞には心を揺さぶられたし、あの歌唱力にも衝撃を受け、すぐに覚えてよく口づさんだ。
りりィはすでに亡くなってしまったそうだが、カルメン・マキは健在でライブハウスで歌っているそうだ。
ネットで調べたら2015年に14年ぶりにテレビに出演(NHK)して「時には母のない子のように」と「戦争は知らない」の2曲を熱唱したそうだ。
見なかった! 見たかった!
ボクより3つ下の、もういいバアさんだが、1度ライブハウスに足を運んで生の歌声を聞いてみたくなった。
「空蝉」が成熟して花が大きく開くとともに、しっとりした空蝉本来の色調になってきた
赤系統の色調が強く出ていたのは、まだ成長途上の少女だったからだろう
うつむいて視線を下に向け、膨らんできた次のつぼみに語り掛けているよう ♪
香りの良い「セント・オブ・ヨコハマ」も大きく開き始めた
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heihoroku
高麗の犬
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