夏期講座2日目も雨。
それも線状降水帯が出来ていたようで降り方も激しく、木立に囲まれた山門がけぶって見えるほど。
風がほとんどないのが救いだが、激しい降りの跳ね返りも加わってズボンの裾はずぶ濡れ。それにしてもよく降る。
土曜日だったせいか、受講生の数は大幅に増え、前日の倍近い300人近くにまで膨らんだみたい。
それでもコロナ前の廊下から転げ落ちそうなほどの、500人を超える受講生の数には遠く及ばず、そこまでの人を集めるには以前のように7月後半に開かないと無理じゃないかと思う。
自然の風だけが頼りの大方丈の屋根の下、暑さにうだり、降るような蝉の声を聞きながら講師の話に耳を傾けるというのは、まさに夏期講座ならではで、好きだったのだけれど、どうもあの時期の開催は諸般の事情から無理らしい。
ゆく川の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず…
まさにこれ。
懐かしんでも、嘆き惜しんでも始まらない。
今回の夏期講座3日間で横田南嶺管長の提唱は始祖達磨大師が中国に伝えた禅宗を受け継いだ二祖慧可禅師のお弟子で、三祖僧璨禅師が遺した「信心銘」の解説。
2日間の話をかいつまむと、「『信』と言うのは客観的知的理解に基づく信頼の事で、仏教には他の宗教のような絶対的な存在がいるわけではなく、そこが仏教の特徴でもある」とした上で、「人は無いものをあると思い込み、心の中で対立させて自ら騒ぎ立てる」「こだわることなく、とらわれることなく、自分自身の心を信じるというのが『禅の信心』」で、「(ないものをあると思い込まず)外に向かって求める心を捨てて自分の心を見つめる」…とまぁ、こんなところか。
こういう趣旨の話は日曜日の法話の中でしばしば出て来たし、繰り返し聞かされる内容とも一致しているので、耳新しいことではないが、なるほど…三番目に禅宗という教えを受け継いだ人は「こう表現しているのか」ということ。
2時間目の講師は小川隆駒沢大教授で「禅宗における師と弟子の間—悟りと嗣法」という禅寺らしい講義内容だった。
達磨大師から始まる禅宗の系譜をたどりつつ、「外に向かって求める心を捨てよ」という「伝灯」の流れを残された文献からのエピソードを交えつつユーモラスに解説してくれ、1時間半、飽きることが無かった。
今朝は晴れている♪
やっと自転車で行ってこよう。
8:11総門下到着 2日目の朝も人影は無し
振り返ってもだれもいない
総門をくぐる 昨日はここで雨宿りしている観光客がいたが…
山門が霞んで見えるほどの降り…
線状降水帯の下に入ったような激しい降り
仏殿の扉は閉じられたまま
土曜日のせいか、用意された椅子の数は初日に比べて圧倒的に増えていた
大方丈の隣の書院
窓の外でホタルブクロが雨に打たれて垂れ下がってしまっている
禅を「Zen」として初めて世界に紹介した明治期の管長・釈宗演老師の達磨図
1時間目が終わると依然として雨脚は強いものの空が明るくなりはじめる
12:30近く、講義を終えて外に出ると雨はすっかり止んでいて、外国人観光客の姿が…
最奥部の黄梅院には「荒天のため参拝中止」の立て札が出ていた
本堂の扉はすべて締め切られていた
黄梅院階段下の掲示板に毎月、横田管長が揮毫している坂村真民の詩
龍隠庵の崖にイワタバコが雨に濡れて咲いている
この花は葉っぱともども雨に濡れている方が素敵である
東慶寺の群落も多分見ごろになっていることだろう