でも、ニヒリズムに見えて結構センチメンタルだなぁ、どんな学生が書いたんだろう、会って話がしてみたいものだなどと思ったものである。
井伏鱒二の訳詩を思い出したのは、天気予報がしきりと今日は真冬並みの寒さに逆戻りし、おまけに風雨が強くなるからサクラは散ってしまうだろうと繰り返しているのを聞いたせいでもある。
サクラの季節に花が開いている間中、穏やかな天気が続いて、やがて花びらが音もなくはらはらと散っていくなどと言う光景は来し方1、2度はあったのかもしれないが、記憶に残っているのは無情の雨と風に散りゆく光景ばかりである。
おそらく「共謀罪」が成立した後の日本の姿も同じように満開の花の上に強い雨風が吹き荒れるようなことになるのだろう。
花にしてみれば、抵抗しようにも抵抗のしようがない世界に追いやられることになるのだ。
そうなれば虚無主義を気取っている場合でもなくなり、自分の心を他人には絶対のぞかせないようにしながら、息をひそめて暮らすような状況に追いやられていくことだろう。
考えるだけでも憂鬱になるが、これを跳ね返せるかどうか、関心のある人もない人も、日本は歴史的な転換点に立たされているんである。
戦争ができる普通の国を目指し、あわよくばため込んできているプルトニウムを核武装のために使い、小学生に教育勅語を暗記させて国のために命を投げ出すことを美しいと教え、特定機密保護法という名のベールで安全保障に関する情報を隠し、ついには「主権在民」「基本的人権の尊重」「平和主義」の三大特徴を持った現行憲法を「主権在君」のものに変えてしまおうというのが、アベなんちゃら一味の目標なのである。
その道具の一つとして「共謀罪」で国民の自由を奪い、黙らせる。
数百万人もの犠牲者の上に築かれてきた戦後の繁栄と平和な暮らしは何だったの。
なぜ主権在民じゃぁいけないんでしょうか。主権在君の「君」ってだれだよ。
兵士のみならず、非戦闘員である子どもや老人、女性までもが無残な死に追いやられたあの戦禍を招いたのと同様の社会体制に戻そうと目論んでいるのである。
「勧酒」の原文
勧君金屈巵 満酌不須辞 花発多風雨 人生足別離
直訳すると 君にこの金色の大きな杯を勧める なみなみと注いだこの酒 遠慮はしないでくれ 花が咲くと雨が降ったり風が吹いたりするものだ
人生に別離はつきものだよ
井伏鱒二の訳
コノサカズキヲ受ケテクレ ドウゾナミナミツガセテオクレ 花ニ嵐ノタトエモアルゾ 「サヨナラ」ダケガ人生ダ
こう見てくると、井伏鱒二の訳は共謀罪成立後の社会のために用意されたような塩梅ですなぁ。
井伏サン ソンナツモリジャ ナカッタロウニ …
以上は昨日の散歩での近所のサクラ
数日前だが、門の瓦屋根の上でタンポポとサクラが仲良くしていた
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