いやぁ~、驚いたのなんのって…
世の中は確実に変化し、特にコロナ禍を契機にそれが加速したんだという現実を目の当たりにして、浦島太郎にでもなった気分である。
どういうことか。
2つのことにびっくりさせられた。
用事があって久しぶりにヨコハマへ行く。
昼少し前にその用事が済んで、横浜駅東口からニッサン自動車のギャラリーを抜け、みなとみらい地区のビル群をてくてく桜木町まで歩いてみることにした。
この臨海開発地区はミナトに面した広大な敷地の造船所が移転した後に拡大整備された新しい街で、開発開始は1980年代の事である。
以来40年近く、その足取りを見てきたつもりだ。
長いこと日本一の高さを誇ったランドマークタワーを筆頭に高層ビルが立ち並ぶ開発初期の街区以外は、砂埃の舞う空き地の目立つ殺風景な光景が広がっていたが、今回歩いてみてその空き地がほとんど消え、真新しいビルがケンを競って林立している光景に出くわし、「いつの間に…?!」という感を強くした。
それにしたって竹林のタケノコじゃあるまいし、あちこちでニョキニョキ伸びるわけもないのだが、その「そんなわけがない」がここにはあった。
まるで芝居か何かの背景が一瞬にして変わるアレとよく似ていて、まるで書き割りの世界に紛れ込んだようでもある。
確かにこの3年間はどこにも出かけられなかったし、いわんやみなとみらい地区には用事も無く、近くを走る根岸線の車窓から様子をのぞき見した記憶もないからなおさらである。
そして昼を過ぎたので腹を満たし、のども同時に潤したいと店を探し始める。
ビル群の地下街に広がっているレストラン街はどこも似たり寄ったりだし、桜木町と言えば野毛、野毛と言えば…の街があるじゃないかと足を向ける。
その入り口にある駅前のビルの地下の飲食店街を覗いて仰天させられてしまった。
ぴおシティとかなんとかいう名前の市営地下鉄の桜木町駅の真上にあるビルである。
時刻は午後12時30分前後。
そこで庶民的な街中華か洋食屋にでも入ろうと思ったのだ。
ところがそんな店はいつの間にか1軒も無くなっていて、どこも「立ち飲み」の大袈裟で派手めな看板が掲げられ、赤提灯がぶら下げられた所さえある。
「そうか、いつの間に…」と思いつつ、「立ち飲みで焼酎の何とか割りやビールも悪くないな、つまみで小腹も満たせるだろう」と適当な店を探し始めたら、何と!どの店も先客で割り込むスキがないくらいに混みあっている。
それよりなにより、どの店も"満員すし詰め状態"にすっかり驚いてしまい、すき間に割り込んで1杯やるなんて、恥ずかしながら「気後れ」してしまってその気も失せてしまった。
そしてスゴスゴと「ボクの知らないうちに世の中はすっかり変わっちまった!出る幕なんかないじゃん」と言わばしょげかえって地下街から抜け出したのだった。
いくら3連休の初日の土曜日だからと言って、横浜の立ち飲み屋が真っ間から満員だなんて光景はこれまでソコソコ長い年月生きてきて、一度も見たこと無いぞっ!
トーキョーのアメ横の上野駅寄りの界隈には飲み屋が集中している一角があり、そこは確かに平日でも昼間からそこそこの客がグラスを傾けているし、休みの日にはもっとにぎやかだが、ここはホントにヨコハマなのか…と愕然とさせられる思いだった。
コロナが明けて、自由を取り戻した気分が広がっているためかどうか知らない。
しかし、そういう光景に溶け込んで行けない自分がいたことも確かだ。
時代遅れのポンコツのようになってしまったようでもある。
気後れも手伝って、そのままスゴスゴと電車に乗って地元に帰ってきてしまったし…
言わせてもらえば、地元の鎌倉駅や大船駅の周辺にも立ち飲み屋はある。
しかし、そこがにぎわうのは夕方4時ころからで、真っ昼間なんてそもそも店が開いていないのだから。
まっ、コロナ禍以前の話だけれど…
ニッサンギャラリーを抜けるといきなり景色が変わった
右のビルと奥の横浜美術館は古株だが…
このビルも
これらのビルもまだ出来立てのホヤホヤで、建築コンクール会場かなにかのよう
桜木町駅前のビルに地下街に一歩足を踏み入れた途端、赤提灯が出迎えてくれ…
店の前のビールケースで飲んでいる人…
こちらの店も席は埋まってしまっていた
のれんの奥には女性3人の立ち飲み姿も
入りたそうに、しばし立ち止まって様子をうかがう人
こちらは人気店らしく、店の外にはスペースが空くのを待つ人たちが7、8人も待っている!
そして左端の入れ込んだ感じのおっさんが手に握っているものは…
軍資金の1000円札2枚!
千円でベロベロになれる"千ベロ"の上を行く‶2千ベロ"コースか…