闇と夜明けの境界がまだはっきりしないうちは薄っすらと雲の切れ目のような部分も見えていたのだが、午前5時を回った辺りから音もなく、目に見えないくらい細かな雨が落ちてきた。
そんなか弱わそうな雨でもベランダの床は見る見るうちに濡れていく。
先週日曜日以来の雨だから8日ぶりの雨ということになる。
立春から数えて135日目を梅雨入りと呼んできた。
今の暦でだいたい6月11日か12日の頃である。
今日が14日だから、まさに暦通りなら梅雨入り直後ということになる。
雨が降って当然なのだ。
でも明日は1日中晴れマークが並んでいるし、その後も傘マークは自己主張していない。
東海以西には早々と梅雨入りが発表されたが、大雨が降ったなどという話はトンと聞こえてこないし、梅雨入りした地方にお住いの方のブログを拝見する限り真夏のような好天が続いているらしいから、「宣言」は空振りなんじゃなかろうか。
ボクは大好きな盛夏がやってくる前に、何かと邪魔立てしてくる意地悪な存在と思いつつ、それがスゴスゴと退散して一気に夏の空が広がる時の何とも言えない爽快感と解放感が好きで、うっとおしくて忌々しい存在ではあるが、盛夏を迎える露払い的な存在、引き立て役としての存在意義だけは認めていた。
そういう梅雨が、実は文学作品などに深い陰影を刻んできたことは日本人の感性のすばらしさだろうと思うし、鬱陶しさをも喜びに変えてしまう心の持ちようと言うか、ゆとりと言うのか、その辺りは学ぶところ大だなぁと思っている。
平安時代末期から鎌倉時代に活躍した慈円という天台宗の僧侶がいた。
この人の残した今様に次のようなものがある。
花橘も匂うなり 軒のあやめも薫るなり
夕暮さまの五月雨に 山郭公名告りして(やまほととぎすなのりして)
何だかジメジメした梅雨なんか全然苦にならず、むしろ気分的には浮き浮きしてくるような雰囲気と軽快なリズム感さえ漂う ♪
芭蕉と曽良の「おくのほそ道」は平泉あたりから象潟辺りまでは梅雨時の行程のはずで、曽良が残した紀行文には雨に降りこめられる旅の困難さがしのばれるものの、実際に残された句を見る限り、味わい深さの方が勝っているのだから大したものである。
そんな中からいくつか。
五月雨の降りのこしてや光堂
夏草や兵どもが夢の跡
蚤虱馬の尿する枕もと
まゆはきを俤にして紅粉の花
閑さや岩にしみ入る蝉の聲
五月雨を集めて早し最上川
雲の峰幾つ崩れて月の山
暑き日を海にいれたり最上川
ええいっ!キリがないからもうやめる。
この芭蕉が詠んだ場所にボクも実際、立ってみたのだよ。
ただ月山の頂にはまだ届いていないのが心残り…
こう見てくると、忌々しいはずの梅雨も「また楽しからずや」ってことのように見えてくるから、巨匠と言うのはやっぱりすごい。
(見出し写真は海蔵寺の葉に班の入ったアジサイ)