そして、この無謀な戦いとその前から始まっていた中国に対する侵略戦争によって日本人だけで300万を超す人々が犠牲になった。
ボクの社会人生活におけるバックボーンは2度とこうした戦争を起こさせないために、自分の仕事の範囲で可能な限り抵抗することだった。
バトンを渡した後輩たちもよくやってくれているようだが、それでも気概は薄れてきているように思える時があるのが残念である。
今またアベなんちゃらが、不戦を誓ったはずの憲法9条を変えようと画策していることに大きな危惧を抱いている。
そして、こうした流れに日本国民の半数しか疑問を呈していないのが気にかかる。せめて7割ほどの人が疑問を呈するようになれば、こうした策動は自然と消滅するはずなのに…
「朝、目覚めると、戦争が始まっていました」(方丈社。2018年8月14日初版)という本を見つけた。
77年前の「あの日のこと」をどう感じ、何を考えたのか、当日の知識人・著名人の日記や回想録から「その箇所」が集められている。
あまり長くならないように、ちょこっとだけ紹介してみたい。
予想以上だったね。いよいよルーズベルトも失脚だね。(東条英機、首相、57歳)
今朝はハワイを奇襲した筈だ。僕の在任中山本五十六君を呼んで、日米戦についての意見を叩いたところ、彼は初めの一年はどうにか保ちこたえられるが、二年目からは全然勝算はない。故に軍人としては廟議一決し宣戦の大命降れば、ただ最善を尽くして御奉公するのみで、湊川出陣と同じだと、いっておったが、山本君の気持ちとしては緒戦に最大の勝利を挙げ、その後は政府の外交手腕発揮に待つというのが心底らしかった。それで山本君はそれとなくハワイ奇襲を仄めかしていたんですヨ。(東条の前の首相・近衛文麿、50歳。近衛が模索した日米首脳会談が行われていれば、あるいは開戦はまぬかれたかもしれない。会談がご破算になり総辞職する)
三国同盟の締結は、僕一生の不覚だったことを、今更ながら痛感する。……世間から僕は侵略戦争の片棒かつぎと誤解されている。僕の不徳の致すところとはいいながら、誠に遺憾だ。殊に三国同盟は、アメリカの参戦防止によって、世界戦争の再起を予防し、世界平和を回復し、国家を泰山の安きにおくことを目的としたのだが、事ことごとく志とちがい、今度のような不祥事件の遠因と考えられるに至った。これを思うと、死んでも死にきれない。(当時の外相・松岡洋右、61歳。この徹底的なポピュリストが三国同盟締結の首謀者であり、近衛がなんとか開戦を避けようと模索した日米首脳会談にひとり頑強に反対した男である。こいつが反対しなければ日本の運命はまた違ったものとなっていただろう)
ものすごく解放感がありました。パーッと天地が開けたほどの解放感でした。(吉本隆明、思想家、17歳。学生時代、こいつの本を沢山読んだ。こういう日記を残していたのを知っていたら読まなかっただろう。でも吉本1人が悪いのではなく、多くの知識人は戦後になって何食わぬ顔で反戦を唱え始めたのだから)
対米宣戦布告。昌信の今までのパパ、ママも今日からお父さん、お母さんにあらためさせる。(ピストン堀口・プロボクサー、27歳)
いよいよはじまったかと思った。何故か體ががくがく慄えた。ばんざあいと大聲で叫びながら駆け出したいやうな衝動も受けた。(新美南吉、児童文学者、28歳。「ごんぎつね」などの絵本の作者だというのが信じられない)
僕はラヂオのある床屋を探した。やがて、ニュースがある筈である。客は僕ひとり、頬ひげをあたっていると、大詔の奉読、つづいて、東条首相の謹話があった。涙が流れた。言葉のいらない時が来た。必要ならば、僕の命も捧げねばならぬ。一歩たりとも、敵をわが国土に入れてはならぬ。(坂口安吾・作家、35歳)
昨日、日曜ヨリ 帝国ハ米英二国ニタイシテ 戦闘ヲ開始シタ。 老生ノ紅血躍動!(斎藤茂吉、歌人、59歳)
以下はちょっと違う立場の人々の残した文章
一九四一年三月七日、夕食をとりに大学わきの食堂に行くと、客がまばらだった。誰も私に注目することもなく、いつものように私はピーマンの肉詰め(スタッフト・ペッパー)を食べて、倹約のためお茶は飲まず、まっすぐ下宿に帰った。
ところがその日、屋根裏まで戻ると、私の部屋にだれかいる気配がした。入ってみると、ミドルセックス校以来三年間つきあいのあるチャールズ・ヤングが、ひとりで椅子にすわっていた。
彼は立ち上がって私を迎えた。
「戦争が始まった。これからお互いを憎むことになるだろうが、私たちがそれを越えることを望みたい。」
私のほうには、彼に対する憎しみが湧いてこなかった。(鶴見俊輔、思想家、19歳)
そのとき、学生の一人が、本郷通りで手に入れた新聞の号外を読み上げた。すると私たちの間には、一種のざわめきが波のように拡がった。誰かが何かを言ったというのではなく、いわば言葉にならぬ反応が集まっておのずから一つの溜息のようなものになったのであろう。私たちは、そのとき太平洋戦争という事実と向き合っていた。
私は周囲の世界が、にわかに、見たこともない風景に変わるのを感じた。(加藤周一、評論家、22歳)
十二月八日の朝、日本が開戦したことを知った。
まさかーー私はガク然とした。日本は独伊と同盟を結んでいた。しかしそれは米英などとのさまざまの交渉を有利に展開するためのかけひきであって、強硬なのも結局ポーズだけかと思っていたのに。
もう入隊はきまっている。ああ、オレは間違いなく死ぬんだ。死んでやろう。私ははり裂ける思いで家の外に飛び出した。ふりあおいだ冬空は限りなく青かった・。(岡本太郎、画家、30歳)
いま、力足らず、敵の手に捕らえられて破滅的な戦争開始の報を、看守の好意によってきかされる不甲斐なさ! われわれの力がつよく、せめて労働者階級と青年たちの目だけでも開かせ、もっと強くこの戦争に反対することができていたならと、胸は傷んだ。明日の運命も知らずに宮城にむかう大群衆の足音、天地をゆすぶるような万歳の声、人びとの心をかりたてるような軍歌と軍楽隊のとどろきが地下室の留置場までひびいてくるのを、なすすべもなくじっときいているくやしさ。にじみでる涙もおさえきれなかった。(神山茂夫、社会運動家、36歳)
福井県の郷里で、父の葬式の後始末をしていた。支払いに町に出ていて、電柱に張ってあるビラをみて開戦を知った。別に感慨も無かったが、瞬間、うちに帰れば、特高が来ているだろうな、と思った。(中野重治、作家、39歳)
僕はアメリカとの戦争が始まったとき、二、三の客を前にしながら、不覚にも慎みを忘れ、「ばかやろう!」と大声でラジオにどなった。(金子光晴)、詩人、45歳)
清沢は「けさ開戦の知らせを聞いた時に、僕は自分達の責任を感じた。こういう事にならぬように僕達が努力しなかったのが悪かった」と、感慨を漏らした。(清沢洌、ジャーナリスト、51歳)
今朝は寝坊してしまった。気が付いて時計を見たらなんと1時間遅れの5時07分! このところ寝坊の気が出ているのだ。体調が元に戻って自家発電も活発になってきたようで、布団の中が極めてポカポカと心地よいのである。心せねば。
台風24号の塩害でダメージを受けて葉を落としてしまったクレマチスのアフロディーテ・エレガフミナに季節は連れの花が咲いた
えも初夏の最盛期には5弁の花を咲かせるのに、省エネなのか花びらが4弁しかない
こちらも塩害でダメージを受けていたブラッシング・アイスバーグだが、師走になって復活してきた
植物の持つしぶとさ、底力というものを感じさせるに十分である
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heihoroku
ひろ
heihoroku
高麗の犬
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