平方録

劣化が忍び寄る

右の膝が少し痛む。
特段、日常生活に影響を与えるというわけではないが、違和感はぬぐいようがない。

理由は明白。
2日間に渡って姫の縄跳びに付き合ったせいである。
何せ、縄跳びという運動は連続して跳びあがる動作を繰り返すものである。
地面を蹴って飛びあがる動作は何でもないが、問題は着地である。

考えて見れば、立っているだけで両足首と両膝にはそれなりの体重がのしかかっているのである。
それを、事もあろうにぴょんぴょん跳び跳ねて負荷を与えているのだから、いったいどのくらいの重さを受け止めていることになるのだろう。
もともと、必要十分以上の脂肪を身につけている身である。
そこを十分にわきまえておかないと痛みを生ずることになるのだ。

もっとも、若ければ両足首も両膝も、その機能は新品そのものだから、衝撃の吸収能力も高いだろうし、衝撃に耐えられるように機能そのものが自ずと強化されていくものなのだ。
それが人間の持つ優れた対応能力なのだが、如何せん、一定程度使用してきた部品というものは、そもそも経年劣化というものと無縁ではいられない。
つまり、わが肉体のように、劣化しかけている部品・機能に負荷をかけ過ぎると、その部位から悲鳴が上がるということなのである。

痛みを感じる右ひざは昔サッカーをやっていた時に痛めた古傷が、今も律儀に顔をのぞかせるのである。
こういうものこそ薄情に去って行ってくれて何ら痛痒を感じないのだが、ままならないものである。
縄跳び自体、良い運動にはなっても特段に激しい運動というわけでもないのに、こうして痛みを感じるという事がつくづく情けない。

「劣化」の表現を変えると「加齢」になるそうだ。
ちょっとニュアンスが違うんじゃないか、と思うが、医者が使う常とう句であるらしい。
ここが痛い、あそこが変だ、などと医者の前で申告すれば、ろくに見もしないで「いやぁ、それは加齢によるもので特段心配はないですよ」とかなんとか言う時に使う便利な言葉のようである。

直接はまだ一度も耳にしたことはないが、友人たちの話の端々にそういうやり取りを耳にする。
つまり、医者は「年とりゃ誰でもそうなるんだ。ちったぁ我慢しろ。古くなりゃあガタがきて痛むのは当たり前で、命にゃぁ影響ないから安心しろ」と言いたいところを、職業的慇懃さを持って「加齢」というオブラートにくるんでいるだけなのである。

「つまり経年劣化っていうやつですよ、お客サン」と、さすがに医者はお客サンとは言わないだろうが、このほうが加齢と言われるより分かりやすいんじゃないのかね。
劣化に間違いはないのだ。潔くしようじゃないの。



忍び寄ってくるので聞こえにくかった春の足音だが、耳に届くようになってきた=横浜イングリッシュガーデン
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