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平方録

ボクという存在を忘れないでほしい(寺巡りその1)

3月に入った途端、コロナの流行が始まってすべての坐禅会が中止になって以来、足が遠のいてしまっていた北鎌倉の円覚寺に出かけてみた。
約8か月ぶりということになる。
今から700年以上前からここにあるのだから、たった8か月顔を出さなかったからと言って、何かが変わっているわけもない。
実際、境内を歩いてみても特段の変化は感じられなかった。
ただ、観光客の姿はまばらで、平日だって好天に恵まれれば鎌倉観光にやってきた老いも若きもがぞろぞろ歩いている境内は閑散としていた。

当初は流行が長引いたとしても2、3か月で、遅くても夏が過ぎれば再開するだろうくらいには考えていた。
それがかくも長引いてくると、早く再開してもらいたいものだという気が日増しに募る。
そういうボクの存在を忘れてほしくなくて、ご本尊の宝冠釈迦如来に挨拶かたがた姿を見せに行ったというわけである。

もっとも、今月から暁天坐禅会が再開されているから、ぜひともということであれば、それに参加すればいいだけのことだが、如何せん午前6時開始はちょっと具合が悪い。
早朝は毎日ブログを書いている時間だし、暁天坐禅会に参加するとなるとブログを書く時間を変えなければならない。
それに、夏ならいざ知らず晩秋から真冬の午前6時の坐禅なんて、とてもとてもボクなんぞには太刀打ちできない。
天井が高く、石のタイルで覆われた仏殿の内部の底冷えは如何ばかりか…
畳敷きの大方丈で行われる午前8時の坐禅会ですら厳冬期には歯の根が勝手にカチカチ鳴り始め、挙句に胴震いが起きるくらいに冷え込んだ中で坐禅をするのだ。
カレイによりトイレも近くなちゃてるし…

今年は2月の厳冬期を何とかしのぎ切り、これからようやく暖かくなるから、一層集中できるなと思っていた矢先の中止だったのだ。
中止がさらに長引くようだと、気持ち的にも完全に切れてしまわないか心配である。
そんな思いがふと頭をよぎったので、顔を出して見ようかという気になったというのが久しぶりに山門をくぐった理由でもある。

暁天坐禅会が開かれる仏殿の内部を見てちょっと驚いた。
普通に様々な坐禅会が開かれていたコロナ前は壁際に1列だけ並べられていた長椅子が2列に増えていたこと。
きっと参加者が以前に増して増えているのだろう。ムズムズしてしまっている熱心な人たちが唯一再開した夜明けの坐禅会に馳せ参じているということだろうが、大したものである。
なにより「暁天」は毎朝だし…



見出し写真の横須賀線の踏切を渡って階段を登っていくと総門があり、そこで拝観料300円を払い奥に進むと階段の上に山門がそびえる

五筋の線が入った格式を誇る壁と勅使門を持つ大方丈 ここが日曜坐禅会や、日曜説教坐禅会の会場

妙香池のほとりから国宝の舎利殿や禅の修行道場方向を見る

開祖・北条時宗を祀る佛日庵の前を通り、奥に進む

最奥部の黄梅院門前の掲示板に掲げられた横田南嶺管長の筆による仏教詩人・坂村真民の詩

黄梅院の観音堂とシュウメイギク

これも黄梅院の花

これも同じ

高校3年生の夏に初めて坐禅をした居士林 門前のモミジは紅葉が美しい

居士林の隣の空き地で整地作業が行われていた
元々空き地で、一部を修行中の雲水たちが畑にして野菜を育てたりしていた場所
植物の伐採作業をしていた職人に聞くと「お坊さんが寝泊まりする施設を作るようです」という 雲水たちが修行する道場は舎利殿の隣にあるが、これの移転でも考えているのだろうか
あそこ一帯は修行の聖地とも言うべき場所だぜ まさかなぁ…
もしそういうことだとすると在家の修行者の居士林の隣に出家した本職のための道場が引っ越してくることになるけれど…
それとも老朽化した居士林を新たに場所を移して建て直すのか

奥の緑の屋根が仏殿 手前の茅葺屋根は選仏場 その左隣の小さく見える茅葺屋根は居士林の門
 
緑の屋根は山門 手前は松嶺院(オウム真理教の手で惨殺された坂本弁護士一家3人の眠る墓がある)

ここの鐘は国宝だが、カキを食べなかったので鳴らなかった !?


総門前のモミジの一部が少し色づいている 鎌倉の紅葉の見ごろは例年12月初旬 今年は尋常ならざる天候が続いているのでどうなることか



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