実は友人夫妻の奥方が大ファンだそうで、ならばぜひお供を! ということになったわけだ。
戦後間もない1950年に制作された代表作の一つ「道」も出展されていて、これについては10月に八戸から三陸海岸沿いを宮城県の松島まで辿った時に、魁夷が着想を得たとされる道を自分の目でしかと確かめてきていたのだった。
道のすぐ脇は綺麗な海岸線が続き、道はその海岸線に沿った緩やかな起伏の丘とともに延びていた。
訪れた時は穏やかな秋晴れの日で、打ち寄せる波も小さなものだったが、何せ太平洋の荒波が直接打ち寄せる海岸である。
海が荒れればこの道にも当然波しぶきが降りかかるだろうし、そうなればこの道を歩くのもままならないだろうなと思わせる道なのである。
来し方を振り返ってみれば、道というものは平たんに見えていたとしても、常にそうだという訳でないところが道の道たるゆえんと言ってもいいのだ。
魁夷の展覧会を見るのは3回目だという友人の奥方は「道の先に伸びている『道』が、今回初めて見えたような気がして感激した」と言っていた。
「道の先に続く道が見える! 」……なかなか素敵な感想ではないか。
ボクはあまたの作品のうち、唐招提寺御影堂に収められた障壁画の数々に魅了された。
日本への渡航を企てるたびに船が難破し、6度目にようやく宿願叶って日本に到着した時には目も見えなくなっていた鑑真の苦闘は井上靖の「天平の甍」に詳しく、中学生の時に読んで背筋がざわざわするくらいに大感激したことを思い出す。
その苦闘を物語るかのような「濤声」、目の見えた鑑真がまぶたに焼き付けていたであろう揚州の風景を描いた「揚州薫風」を前にして、中学生で感じたあの背筋がざわざわするような感覚が蘇ってきた。
数年前、上野の国立博物館に鑑真像が運び込まれ360度のすべての方角から像を拝ませてもらい、雷に打たれたような気持ちになって以来の感激だったと書くと、なんて大げさなやつ!と思われるかもしれないが、中学生時代に受けた感銘は一生消えないと思う。
鑑真、唐招提寺と聞くと、尻の辺りがムズムズしてきて落ち着かなくなるのだ。
奈良に行きたくなった!
代表作の一つ「道」
道端に「『道』の着想を得た道」ーーと書かれた記念碑が立つ道路
谷中銀座をブラブラして腹の空くのを待つ
浅草に移動して飯田屋で熱燗とともにドジョウ鍋をつつく
久しぶりで美味しかったのだが、昼に食べたイタリアンが腹にもたれ、
控えめを余儀なくされたのが心残りである
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heihoroku
ひろ
heihoroku
高麗の犬
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