俺がだれだか分かるか? という。
名前を聞いてすぐに分かった。1年生の時のクラスメートである。
人懐っこい奴で、比較的親しくしていた。
しかし、2年生になってクラスも変わると、すれ違えば会釈はするけれど、特段交流があったわけではない。
部活も私はサッカー部、そいつは別の体育会系スポーツに打ち込んでいたから、なおさらテリトリーが違ったのである。
したがって、交流があったのは東京オリンピックが開かれた1964年の1年間だけのことで、何と52年ぶりなのである。
名前を聞けば思い出すのだが、電話の声だけで名乗ってくれなかったら分からなかっただろう。
わが高校時代というのは、それくらいに忘却の彼方に消えかかってしまっているのである。
で、何事かと思ったら、同窓会組織の地域支部を作って活動していて、その世話役をしているのだが、近々開く会合で君に講演を頼みたいという。
君はマスコミで長く働き、いろいろ経験も豊かだろう、そんな話を雑談風でも良いから話してもらえないか、というのだ。
50数年ぶりに存在を思い出してくれ、声をかけてくれるとは嬉しい限りだが、何か変じゃないか?
来し方で、10年に1度とか20年に1度でも会う機会があって、仕事のことなどちょっとでも話す機会があったのなら別だが、まったく没交渉できて、如何にも唐突である。
ばったり出会って、懐かしさから居酒屋にでも入って呑みながら昔話をするのとはわけが違うだろう。
確かに経験はさまざましてきたが、第一線を退いて既に2年だぜ。それは承知か?
新しい経験など皆無で、そんな状態で話すとなれば昔の自慢話にしかならないぜ。
ヒトの自慢話なんか聞きたくもないだろう。第一、こちらだってわざわざ出掛けて行って自慢話するほど耄碌してないぜ、と丁重に断った。
電話口で落胆する様子が分かったが、仕方あるまい。
急に思い出して引っ張り出そうなどとは、おかしな話があったものだ。
いったい誰の知恵なんだろう。職業柄、疑り深いんである。
ま、そこは飲み込んで、よもやま話になった。
同級生曰く、○○君らと定期的に一杯やっているそうじゃないか。××君から聞いたぞ。懐かしいなぁ。一度誘ってくれないか。
実は糖尿病で失明しちゃってな、まったく見えないんだけど、妻に付き添ってもらって出掛けてるんだ。
君たちにもお別れが言いたいしな、本当に誘ってくれよ、という。
本気半分、冗談半分に聞こえたが、ぼちぼちそんな年頃が迫ってきたのかという思いである。
本人は明かさなかったが、目となり杖となって付き添ってくれている妻というのも、数年前に届いた風の便りによれば、よく知った同級生であるらしい。
まぁ、冥土の土産だと言われれば誘わないわけにはいくまい。
半世紀という時空を飛び超えて、どんな展開が待っていることやら。そういうところは興味シンシンなのである。
わが家の2階ベランダはてんこ盛りの春爛漫である
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