ベランダのガラス戸を開け放って雨音に耳を傾けたい気分だが、南寄りの風が強くて雨が吹き込んできてしまう。
それでも、わずかに開けた隙間から入り込んでくる空気には雨の匂いに混じって濃い青葉の匂いもして、忘れかけていた新鮮な思いにさせられる。
植物にとっては恵みの雨になったことだろうし、たまの雨というものには気分を落ち着かせるものがあるのだということを改めて思い起こさせてもくれた。
良い雨と悪い雨。
西の各地では台風の影響も重なって被害が出るほどらしいし、昨夜は京都の嵐山で住民10万人に避難勧告のようなものが出る騒ぎにもなったらしい。
ノー天気に雨の匂いがどうのこうのなどと言ってはヒンシュクものだろう。
良い雨ばかりとは限らないところが災害列島の災害列島たるゆえんだなどとしたり顔でいうのも気がひけるが、日本の気候自体が穏やかさを失いつつあるのもまた事実のようで、人の英知がこれに対処できるようになるためにはどれくらいの時間が必要なのか途方に暮れるばかりだ。
異常気象は何も日本だけにとどまらず、世界のあちこちでも起きているのだが、アメリカの45代は温暖化自体が作り話だと妄言を吐き、世界中の足並みを乱して我関せずなのは実に不愉快で許し難い。
久しぶりに雨の匂いを嗅いでいい気分に浸っていたのに、45代ごときの言動に朝から腹を立ててしまって、これはこれで逆に気分の悪いことである。
気分を変えよう。
今ボクは夏大好き人間であると自認していて、そのことは一昨日のブログでも触れたが、いつのころからそうだったのかと言われると心もとない気がする。
記憶を遡ると小学校5年生くらいまでは秋が好きだった記憶がある。
小学校の担任が美術の教師だったのでよく絵を描かされたのだが、好きな季節の風景を描いてみろと言われて描いた絵が紅葉の絵ばかりだったのを覚えている。
今思うと緑一色で画面を塗りつぶすより赤や黄色や茶色など様々な色を使ったほうが描いていて楽しそうだから、そうしたようにも思うのだが、とにかく秋というのが意識の底にあったと思う。
当時だって長い夏休みがある夏が嫌いなはずがなく、それなのに夏が大好きという印象がないのはボクが一人っ子だったせいもあると思う。
長い休みにはいつも一人遊びを余儀なくされ、遠くに故郷・田舎というものを持たなかった両親を持ったお陰で、夏休みを控えたクラスメートが兄弟そろって汽車に乗って遠い田舎に行く話で盛り上がっている教室の片隅で寂しい思いをしたのを今でも覚えているし、母親に「どこか遠いところに田舎というものはないのか」と確かめたのも覚えている。
だから、本当は夏が大好きでも心底喜べなかったのではないかと今更ながら思うのだ。
今朝は寝坊したので時間切れ。この話は一端おしまいにしていずれ改めて続きを書こうと思う。
わが家のバーガンディー・アイスバーグ(右)とブラッシング・アイスバーグの2番花
エキナセアのグリーン・ジュェルとハンゲショウ
風に揺れるのはフウロソウ
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