二〇〇二年から〇七年にかけて、僕は「オナニーを科学する」をテーマに、各年の自慰回数を記録してきた。人生最多だったのは〇四年で、一日の平均回数が二回を超えるほど性欲がみなぎっていた。高校生世代の美少女がグラビアアイドルとして間断なくデビューして写真集を発表し、水着姿を惜しみなく披露してくれたので、僕の下半身は安息が与えられなかった。
射精のたびに、僕はどの素材で何回自慰したのかを把握するために、銀行でもらった粗品のメモパッドに素材の名前とその右に「正」の字を書いていった。そのデータはパソコンにも保存しておいたが、外部に流出してしまったら恥ずかしいと思って全部削除した。だから、当時オナペットとしてお世話になったグラビアアイドルは今でも記憶に残っているものの、中にはその写真集がいつ発売されたのか忘れてしまったのもある。
また、彩文館出版や竹書房は自社のホームページから過去の作品の目録が見られるが、版元の中にはすでに倒産したり、他社に事業譲渡したりしたため、二十年以上前に発売された作品のモデルや発売年月を知るのが困難なのも、僕の自慰遍歴の記憶が曖昧になっている要因の一つだ。
〇〇年代中盤にグラビアアイドルとして活動した五ノ井ひかりも、写真集を買うほど僕の下半身を夢中にさせてくれた一人だが、僕はてっきり彼女が川村ゆきえや石井めぐるよりも前にデビューしたものだと思っていた。しかし、五ノ井の一作目である「ピカ」(英知出版)が発売されたのは〇五年四月で、川村たちよりも後に写真集を発表したことになる。先述のとおり、〇四年は人生で最も性欲がピークに達していた時期で、翌〇五年は前年に比べて自慰回数が百回ほど減ってはいるが、それは転職活動と転職による環境の変化によるもので、以後〇七年まで右肩下がりとなった。
僕にとって〇五年の初めは、ちょうど石井と滝ありさの狭間にあたり、以前紹介した疋田紗也や松山まみとともに、五ノ井も当時の自慰戦線に名を連ねていたことになる。高校生世代とは思えない豊満なバストに幾度となく性的興奮を最高潮に導かせたが、石井や滝に比べて自慰回数が少なかったのは、彼女たちが見せていた健康的な肢体の美しさが五ノ井には足りなかったからで、単に胸が大きいだけではオナペットとして何十回も繰り返し用いるのに難があった。
五ノ井はイメージビデオをいくつか発表し、二作目の写真集「ピーチぱい」で着エロに転向。高校生世代を過ぎてもメジャーになれないグラビアアイドルのお決まりのコースを歩んだが、本人のブログやSNSを拝見すると、水着の仕事をやめてからは歌手活動に取り組み、一二年にはCDデビューを果たしている。今でもフリーで芸能の仕事と接点を持ち続けているようで、八月にはブログも更新している。コロナ禍で営業の依頼がめっきり減っていると思われるが、お世話になった身として今後も息長く活動することを切に願っている。