僕の平成オナペット史

少年からおっさんに至るまでの僕の性欲を満たしてくれた、平成期のオナペットを振り返る

児童ポルノ法と商業作品~前編~

2022-10-16 11:44:37 | 日記
 二〇一四年の児童ポルノ法改正に伴い、十八歳未満のグラビアアイドルの商業作品、いわゆる3号ポルノはめっきり発売されなくなった。動画配信大手のDMM.comも改正前に発表された作品の販売を見合わせており、かつてはそれらを収益の柱にしていた出版社や芸能プロダクションは、国の法改正に抗うことなく、自ら育ててきた市場をいとも簡単に切り捨て、“合法ロリ”などとごまかして十八歳以上の何の性的リアリティもない作品を発表し続けている。

 児ポ法厳密化の要因は、〇〇年代から顕著になった低年齢化、いわゆるジュニアアイドルの商業作品の増加で、小中学生に布面積の小さい衣装を着させ、それがインターネットを通じて日本だけでなく、海外にも広く知られるようになった。高校生世代についてもグラビアアイドルというサブカテゴリーの確立によってプロダクション間の競合が激化し、「殊更に性的な部位が露出され又は強調されている」作品が増えていき、監督官庁や人権団体に目をつけられてしまった。


 そもそも、児ポ法は海外への児童ポルノ流出と、当時社会問題化していた援助交際を防止するために、九九年に施行された。それによって、僕が愛読していた「クリーム」などのお菓子系雑誌の掲載モデルは十八歳以上に限定され、コンテンツとしての魅力を失った。英知出版の「すッぴん」のように成人雑誌に様変わりしたあげく、休刊に追い込まれたのもあるが、どういうわけか〇〇年代になって十八歳未満の商業作品は雑誌の域に留まらず、写真集やイメージビデオ(IV)へと市場規模がどんどん広がっていった。

 法施行の本来の目的だった児童ポルノの海外流出は、ネットの普及により防ぐどころか際限なく広がっている。写真集とIVの総出版数は、施行前に比べて施行後から改正までの約十五年間のほうがはるかに多いはずで、それらが今日でもネットで手に入る。たとえ新作が発表されなくても、改正前の作品のほうが性的な部位の露出度が高いのだから、愛好者はそれらを楽しめば事足りる。また、援助交際は「パパ活」に名が変わっただけで、何の防止効果も見られない。

 児ポ法施行当時、僕は十八歳未満の少女の水着姿を掲載した出版物がなくなってしまうのでは、と本気で危惧し、それならそれでしょうがないと、十八歳以上のグラビアアイドルも自慰の対象とみなした。高校生世代を素材に用いたくなったら、神保町の荒魂書店で定価の四、五倍もする「クリーム」のバックナンバーを買った。しかし、そんな不自由は半年も続かず、漫画誌の巻頭グラビアを飾った当時十六歳の宮地真緒の水着姿でお世話になり、翌年には小倉優子がデビュー作の写真集を発表してくれた。


 法施行によって息の根が止められたのは、中小出版社が手がけていた少女ヌード写真集で、水着を含む着衣の作品はかえって増加の一途を辿った。それらは雑誌や写真集といった紙媒体から、ネット上で簡単にダウンロードできる映像媒体に替わり、改正前の作品を販売する怪しげな国内外のサイトが存在するなど、今もなお商業的価値を持ち続けている。商業作品と援助交際にかぎっては、児ポ法は何の防止効果も果たしていなかったのである。