祇園精舍の鐘の声、諸行無常の響きあり。
娑羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらはす。
おごれる人も久しからず、ただ春の夜の夢のごとし。
猛き者もつひには滅びぬ、ひとへに風の前の塵に同じ。
娑羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらはす。
おごれる人も久しからず、ただ春の夜の夢のごとし。
猛き者もつひには滅びぬ、ひとへに風の前の塵に同じ。
遠く異朝をとぶらへば、秦の趙高(てうかう)、漢の王莽(わうまう)、梁の朱忌(しうい)、唐の祿山(ろくさん)、これらは皆旧主先皇の政にも従はず、樂しみをきはめ、諌めをも思ひ入れず、天下の乱れん事を悟らずして、民間の愁ふるところを知らざつしかば(*1)、久しからずして、亡じにし者どもなり。
近く本朝をうかがふに、承平の将門、天慶の純友、康和の義親、平治の信頼、これらはおごれる心も猛き事も、皆とりどりにこそありしかども、ま近くは、六波羅の入道前太政大臣平朝臣清盛公と申しし人のありさま、伝えへ承るこそ、心もことばも及ばれね。
上掲の文章は、平家物語の冒頭部分である。
この前段部分は、高校の教科書にも掲載されているが、後段のほうもなかなか手厳しいことを言っている。
これを現代風に読めば、今の自民党の驕り高ぶり、庶民の苦しみを憂えることなく、ひたすら己の欲望のために税金を食いつぶしているように見える。
そんなのだから、次の総理総裁候補が出てこないのだ。
総理になりたい輩は多けれど、その任に堪えうるものはなし。
これまで彼らが庶民を足蹴にしてきたツケが、遠くない将来にきっちりと回って来よう。
これも大政党に有利な「小選挙区比例代表制」による大きな弊害である。
政治家同士が切磋琢磨することなく、大政党の看板に守られて、ぬくぬくとしてきたからである。
かつての中選挙区制では、同じ政党どうして候補が争い、有権者にその顔がはっきりと見えていた。
今は、選挙と言っても候補者の顔がほとんど見えない。
特に比例区などは、支持政党の人間すらわからないのが実情。
これをいいことに、議員たちは惰眠と惰欲を貪ってきたんだ。
これは他の政党にも言えること。
そろそろ政治家の本分を思い出せよ!
滅ぶときが目前に迫っているのに、気が付かないのか???
驕り高ぶった輩は、必ず滅ぶのが世の習いである。
最近では、ビッグモーターなどがその例か・・・・。
そういえば、先般松川るい自民党女性局長が辞任(いや更迭?)した。
例のバカンスと見まがうようなパリ研修旅行で批判を浴びた御仁である。
この御仁も庶民感覚からほど遠い人。
そのくせ庶民からは票をいただこうという図々しさ・・・。
最近、このような話も出ているようだが・・・・