3回、わたしはそれぞれフランス人を連れて行ったが、太田美術館に保存されている作品は、パリでははじめて紹介されたものらしく、そのため、2週目まではそれほどでもなかったが、3週目にいったときは、人が多くならんでいてはいるのに30分くらいはかかった。
1週間と開催期間がみじかかったため、最終の週にあたる今週、きのうは、木曜日だったが、一緒にならんだフランス人女性と話をして、展覧会を見た後の感想を聞かせてほしいとたのんだところ、電話番号をおしえてくれた。彼女は病院でレントゲン技師として働く女性。電話をかけたら、留守電話で、その後、すぐに電話がかかってきた。彼女のコメントは次のとおり。
第一に、大変美しい浮世絵展だった。色つかい、四季折り折りをえがいた絵はすばらしくよかった。でもあまり、人が多すぎて、絵を鑑賞するのが困難だったのが残念。最初の部分が一番よかったといっていた。
最初の部分は、パリで有名な、北斎や、歌麿(歌麿の作品もあったが)ではなく、むしろパリでは、無名かあまりしられていない浮世絵が紹介されていた。
たとえば、歌舞伎俳優やお能に題材をとった、絵。紅色をつかった絵。
もっと自然をえがいた絵がたくさんあると期待していたのにそれがなかったので、落胆したらしい。
彼女によると、女性をえがいたのが、日本の独自性なのか、はわからないといっていた。中国にも、女性をえがいた絵があるしといったので、そこで、わたしは、「着物は日本にしかない伝統文化で、歌麿のえがいた大首、首が長く手が短い絵の構成は、日本の浮世絵の独自な境地ではないかと思う」といったが、電話だけだったのでもっと話しができなかった。はじめて実際に浮世絵をみたということだった。
そこで私が説明したのは、富嶽三十六景などが全部あれば、また、自然風景が多い浮世絵展だったかもしれないが、芸者、遊女のもつ女性美に焦点をあわせれば、とくにパリで浮世絵は鑑賞され、たかく評価されてきた歴史をみると、歌麿の大首の女性美は独自性がある。
この点については、9年来の友達、あるいは、フランスの父親がわりをしてくれたポールさんのコメントにうつろう。
ポールさんは、みずから、挿絵画家であり、アーチストだけあって、鑑賞眼も優れているようだ。8月11日木曜日に先にポールさんに私を待たずに、入館してもらい、あとで用事をすませたわたしは駆けつけたが20分くらい待ち、入館した。
まず、歌川豊国の児戯はみたことがないし、日本の独自な絵の演出方法だといっていた。
障子の半分の黒い鏡をつかって子供の遊びを描いたものだが、版画が3つに横長に仕切られていて、畳、障子の鏡の部分と3つにわかれていて、これらは、フランスの絵画にはない演出だという説明だった。
ポールさんのお気に入りは、歌麿と北斎だ。フランス人が発音するとHOKUZAIとなる。遅れて入館したわたしの手を引き、これが日本の独自性だよといってみせてくれたのは、葛飾北斎の、源氏物語図だ。絵全体は3つにしきられていて、ふすま、障子、外には、松の木、王朝時代の着物すがたの女性の話を外でそっと聞き耳をたてている、源氏。桜も描かれている。色はオレンジ色、緑、茶色、うすい灰色などで、こういう演出効果は、フランスの伝統絵画にはまったくないものだと説明してくれた。1850年代に日本が鎖国を長くしていた最後の時代に旅行者でいったフランス人からも輸入され、もちかえり、
初めて目にする日本の絵画。始めてみる着物の美しさ。それから、わたしがはっと気づいたのは、浮世絵には絵と文章があることだ。たとえば、葛飾北斎の、風俗三美人図には草書での詩が筆でかいてある。これらは、わたしには、ちいさいころからみているもので、あたりまえとおもうが、フランス人にはとても珍しい、19世紀のフランスでは斬新なものとしてうけいれられたのは、この新しさがあったとポールさんは語ってくれた。
同じくかけものの北斎の、雨中の虎図などは、思いがけない新天地だとポールさんはねつっぽく話す。
ポールさんが大好きなのは、歌麿の5大美人愛敬競の
の絵。今まですべてみたことがないらしい。歌麿の描く、首の長い女性、手がまるで幼子のような小さな手。着物のイメージとあいまって、繊細で美しく、髪の毛一本一本までも、描かれていて、黒のグラデーションが、なんともいえない優美さをかもしだすようだ。特に、兵庫屋花妻が、手紙を読んでいる作品は、日本語を勉強中の彼にとっては、ラブレターなのか、中味はなんてかかれているかときかれたが、残念ながら、わたしは、この手紙の草書は達筆すぎて読めない。
漫画の編集者で、図書館員である、別の友人フィリップは、紅色、黒色、緑色の使い方に驚嘆していた。特に歌川豊国の役者舞台之姿絵、きの国や、三世沢村宗十郎の大星由良之助の黒の衣装の色のつかいかたが印象的だと語った。別の作者で、勝川春栄が描いた、同じ役者の由良之助で、濃い黒の配色がいいし、刀が、衣装の裏にかくれているが、実葉よく見ると見えるし、人物像では衣装が顔に映え、人物がそこにいるような存在感がある。というのが感想だ。広重の、漢文が絵にかかれている作品、、、、、、、小鳥が枝にとまっているものをえがいているが、これは、薄い紺色が基職色で、ほかには、ベージュが小枝に使っているほかは色はつかっていなく、すっきりしていて、好きな作品のひとつだ。同じく広重の、東海道五十三次で、庄野 白雨という夕立の作品。のは、ポールと同じ喜多川歌麿5大美人愛敬競だそうだ。北斎の有名な、富嶽36景の波をえがいた作品は、今回の展覧会ではなかったのが残念で、本で何回もみたので、本物をみたかったらしい。富嶽36景、凱風快晴はあった。歌麿などの作品での髪や、かんざしや扇子の色のつかいかた、黒でもさまざまな種類があることが面白いというのがかれの感想だ。ほかにすきなのをあげるとすると、鈴木春信の、風流諷八景などの作品で、雪がうっすらと屋根に降った様子を描いた、鉢木の暮れ雪の白、ベージュ、緑、黒、紅色などの、配色を眺め、じーと絵を観察していた。松風の秋月などは、女性2人の、顔は穏やかで、お気に入りの作品だ。フランスの漫画の世界にも日本の浮世絵は多少の影響をあたえたとポールさんから聞いたことがある。
フランス人の、親友である、ミッシェルは、第1部の勝川春潮の夕立がお気に入りだ。夕立で、着物の裾がひるがえって、下駄や草履と足の一部がみえるのがなまめかしい印象で、色気がある絵だからかもしれない。
長文斎栄之の風俗略六芸、茶湯と生花は、彼女の好きなオレンジ色が巧みにつかわれていて、薄紫色の着物の裾の花模様がエレガントだと感心していた。
日本の浮世絵がパリに影響をあたえたのは、印象派以前からだといわれる。詳しいことは調査中のため次回にするが、簡単にのべてみよう。
フランスに浮世絵が導入されたのは、1850年代のおわりごろ、ゴンクール兄弟、版画家のフェリックス、ブラックモンによってはじめてパリで導入された。現在の、プラス、ヂュクリッシイにあったカフェ、ゲルボワ、で当時の画家、ヂュガ、マネ、ルノワール、ロートレック、モネ、作家のゾラ、(マネのゾラの肖像画は有名であるが、明治のはじめにかかれたもので、ゾラはマネの理解者であった)たちが集まり、芸術論議を戦わせていた場所だ。このころから、日本美術のオリジナルがしられるようになっていた。
北斎、歌麿はこうしてパリにしられるようになった。ここで一人の日本人をわすれてはいけない。その後、美術骨董品の輸入を日本人としてはじめててがけた桐生工商の、通訳であった林忠正が美術商とし、独立し、1883年に店をパリにひらいた。今のオペラ地区界隈にある。現在では多くの日本レストランがならんでいて、日本企業、銀行があるところだ。1878年のパリでの世界万国博覧会は林の夢を実現する機会をあたえた。
その後日本の浮世絵は、日本愛好家の間で有名になり、評価されていった。
日本では、遊女をえがいた浮世絵を、応接間に飾ることはあるだろうか。歌麿、北斎の作品はパリでこそ高く評価されたのではないだろうか。この12年パリ、ローマにすみ、バングラデッシュにも1年すみ、アフリカの紛争地域にも仕事で行ったが、フランス人ほど、浮世絵に関心が高いひとたちはいないのではないかとおもった。それくらい、浮世絵がフランス絵画にあたえた影響は大きいようだ。モネの日本の橋をテーマにした作品など、知っている人は多いだろう。そのほか、ゴーギャンも作品のなかに、浮世絵をコピーしてつかったようだが、これも友人のポールさんにきいたもので、まだ実際には私自身はみていない。今度機会があれば、見てみよう。
1週間と開催期間がみじかかったため、最終の週にあたる今週、きのうは、木曜日だったが、一緒にならんだフランス人女性と話をして、展覧会を見た後の感想を聞かせてほしいとたのんだところ、電話番号をおしえてくれた。彼女は病院でレントゲン技師として働く女性。電話をかけたら、留守電話で、その後、すぐに電話がかかってきた。彼女のコメントは次のとおり。
第一に、大変美しい浮世絵展だった。色つかい、四季折り折りをえがいた絵はすばらしくよかった。でもあまり、人が多すぎて、絵を鑑賞するのが困難だったのが残念。最初の部分が一番よかったといっていた。
最初の部分は、パリで有名な、北斎や、歌麿(歌麿の作品もあったが)ではなく、むしろパリでは、無名かあまりしられていない浮世絵が紹介されていた。
たとえば、歌舞伎俳優やお能に題材をとった、絵。紅色をつかった絵。
もっと自然をえがいた絵がたくさんあると期待していたのにそれがなかったので、落胆したらしい。
彼女によると、女性をえがいたのが、日本の独自性なのか、はわからないといっていた。中国にも、女性をえがいた絵があるしといったので、そこで、わたしは、「着物は日本にしかない伝統文化で、歌麿のえがいた大首、首が長く手が短い絵の構成は、日本の浮世絵の独自な境地ではないかと思う」といったが、電話だけだったのでもっと話しができなかった。はじめて実際に浮世絵をみたということだった。
そこで私が説明したのは、富嶽三十六景などが全部あれば、また、自然風景が多い浮世絵展だったかもしれないが、芸者、遊女のもつ女性美に焦点をあわせれば、とくにパリで浮世絵は鑑賞され、たかく評価されてきた歴史をみると、歌麿の大首の女性美は独自性がある。
この点については、9年来の友達、あるいは、フランスの父親がわりをしてくれたポールさんのコメントにうつろう。
ポールさんは、みずから、挿絵画家であり、アーチストだけあって、鑑賞眼も優れているようだ。8月11日木曜日に先にポールさんに私を待たずに、入館してもらい、あとで用事をすませたわたしは駆けつけたが20分くらい待ち、入館した。
まず、歌川豊国の児戯はみたことがないし、日本の独自な絵の演出方法だといっていた。
障子の半分の黒い鏡をつかって子供の遊びを描いたものだが、版画が3つに横長に仕切られていて、畳、障子の鏡の部分と3つにわかれていて、これらは、フランスの絵画にはない演出だという説明だった。
ポールさんのお気に入りは、歌麿と北斎だ。フランス人が発音するとHOKUZAIとなる。遅れて入館したわたしの手を引き、これが日本の独自性だよといってみせてくれたのは、葛飾北斎の、源氏物語図だ。絵全体は3つにしきられていて、ふすま、障子、外には、松の木、王朝時代の着物すがたの女性の話を外でそっと聞き耳をたてている、源氏。桜も描かれている。色はオレンジ色、緑、茶色、うすい灰色などで、こういう演出効果は、フランスの伝統絵画にはまったくないものだと説明してくれた。1850年代に日本が鎖国を長くしていた最後の時代に旅行者でいったフランス人からも輸入され、もちかえり、
初めて目にする日本の絵画。始めてみる着物の美しさ。それから、わたしがはっと気づいたのは、浮世絵には絵と文章があることだ。たとえば、葛飾北斎の、風俗三美人図には草書での詩が筆でかいてある。これらは、わたしには、ちいさいころからみているもので、あたりまえとおもうが、フランス人にはとても珍しい、19世紀のフランスでは斬新なものとしてうけいれられたのは、この新しさがあったとポールさんは語ってくれた。
同じくかけものの北斎の、雨中の虎図などは、思いがけない新天地だとポールさんはねつっぽく話す。
ポールさんが大好きなのは、歌麿の5大美人愛敬競の
の絵。今まですべてみたことがないらしい。歌麿の描く、首の長い女性、手がまるで幼子のような小さな手。着物のイメージとあいまって、繊細で美しく、髪の毛一本一本までも、描かれていて、黒のグラデーションが、なんともいえない優美さをかもしだすようだ。特に、兵庫屋花妻が、手紙を読んでいる作品は、日本語を勉強中の彼にとっては、ラブレターなのか、中味はなんてかかれているかときかれたが、残念ながら、わたしは、この手紙の草書は達筆すぎて読めない。
漫画の編集者で、図書館員である、別の友人フィリップは、紅色、黒色、緑色の使い方に驚嘆していた。特に歌川豊国の役者舞台之姿絵、きの国や、三世沢村宗十郎の大星由良之助の黒の衣装の色のつかいかたが印象的だと語った。別の作者で、勝川春栄が描いた、同じ役者の由良之助で、濃い黒の配色がいいし、刀が、衣装の裏にかくれているが、実葉よく見ると見えるし、人物像では衣装が顔に映え、人物がそこにいるような存在感がある。というのが感想だ。広重の、漢文が絵にかかれている作品、、、、、、、小鳥が枝にとまっているものをえがいているが、これは、薄い紺色が基職色で、ほかには、ベージュが小枝に使っているほかは色はつかっていなく、すっきりしていて、好きな作品のひとつだ。同じく広重の、東海道五十三次で、庄野 白雨という夕立の作品。のは、ポールと同じ喜多川歌麿5大美人愛敬競だそうだ。北斎の有名な、富嶽36景の波をえがいた作品は、今回の展覧会ではなかったのが残念で、本で何回もみたので、本物をみたかったらしい。富嶽36景、凱風快晴はあった。歌麿などの作品での髪や、かんざしや扇子の色のつかいかた、黒でもさまざまな種類があることが面白いというのがかれの感想だ。ほかにすきなのをあげるとすると、鈴木春信の、風流諷八景などの作品で、雪がうっすらと屋根に降った様子を描いた、鉢木の暮れ雪の白、ベージュ、緑、黒、紅色などの、配色を眺め、じーと絵を観察していた。松風の秋月などは、女性2人の、顔は穏やかで、お気に入りの作品だ。フランスの漫画の世界にも日本の浮世絵は多少の影響をあたえたとポールさんから聞いたことがある。
フランス人の、親友である、ミッシェルは、第1部の勝川春潮の夕立がお気に入りだ。夕立で、着物の裾がひるがえって、下駄や草履と足の一部がみえるのがなまめかしい印象で、色気がある絵だからかもしれない。
長文斎栄之の風俗略六芸、茶湯と生花は、彼女の好きなオレンジ色が巧みにつかわれていて、薄紫色の着物の裾の花模様がエレガントだと感心していた。
日本の浮世絵がパリに影響をあたえたのは、印象派以前からだといわれる。詳しいことは調査中のため次回にするが、簡単にのべてみよう。
フランスに浮世絵が導入されたのは、1850年代のおわりごろ、ゴンクール兄弟、版画家のフェリックス、ブラックモンによってはじめてパリで導入された。現在の、プラス、ヂュクリッシイにあったカフェ、ゲルボワ、で当時の画家、ヂュガ、マネ、ルノワール、ロートレック、モネ、作家のゾラ、(マネのゾラの肖像画は有名であるが、明治のはじめにかかれたもので、ゾラはマネの理解者であった)たちが集まり、芸術論議を戦わせていた場所だ。このころから、日本美術のオリジナルがしられるようになっていた。
北斎、歌麿はこうしてパリにしられるようになった。ここで一人の日本人をわすれてはいけない。その後、美術骨董品の輸入を日本人としてはじめててがけた桐生工商の、通訳であった林忠正が美術商とし、独立し、1883年に店をパリにひらいた。今のオペラ地区界隈にある。現在では多くの日本レストランがならんでいて、日本企業、銀行があるところだ。1878年のパリでの世界万国博覧会は林の夢を実現する機会をあたえた。
その後日本の浮世絵は、日本愛好家の間で有名になり、評価されていった。
日本では、遊女をえがいた浮世絵を、応接間に飾ることはあるだろうか。歌麿、北斎の作品はパリでこそ高く評価されたのではないだろうか。この12年パリ、ローマにすみ、バングラデッシュにも1年すみ、アフリカの紛争地域にも仕事で行ったが、フランス人ほど、浮世絵に関心が高いひとたちはいないのではないかとおもった。それくらい、浮世絵がフランス絵画にあたえた影響は大きいようだ。モネの日本の橋をテーマにした作品など、知っている人は多いだろう。そのほか、ゴーギャンも作品のなかに、浮世絵をコピーしてつかったようだが、これも友人のポールさんにきいたもので、まだ実際には私自身はみていない。今度機会があれば、見てみよう。