ただひとついえるのは、スリランカの緊急入院で、人生はかわった。退院後、1週間の休養のため、FAO本部の上司へ電話をし、モルデーブいきは中止し、インドネシア、ジャカルタへ直行することはできると交渉しOkがでて、健康問題のため、計画を変更、飛行機変更、ホテル変更で大変だったが、スリランカのFAOオフィスの助けで、インドネシアへ向けて出発することができた。
入院中にであった、インド人看護婦、医師をはじめとする多くのひとたちからまなんだのは、健康がなくては開発途上国での仕事は困難なこと、寛容な態度、おだやかな物腰、はなしぶり、ユーモアの大切さなど、どこからきているのかとおもったが、仏教のおしえから来ていることが理解できた。
自分の健康問題で、苦悩していたとき、瞑想したらどうかと、スリランカでであったひとたちにいわれ、パリへかえってから、仏教の寺院をさがしていたら、バンセンヌの森にある、チベット寺院がみつかり、たずねてみた。早速、瞑想、祈りに参加し、音楽をつかったもので、心はおちついた。今は国際開発との関わり方をかんがえつつできることからはじめた。今までは現地主義だったが、健康問題で現地には今しばらくはいけなくなった。今までのことを報告書、本として刊行し、自費出版になるが、ひとつの区切りとしたい。
この本出版にあたって、パリで最近新しくであった友人たちに、お世話になった。なかでもアパートの水漏れ問題で執筆に集中できない私の窮地をたすけてくれたのは、フィリップ、写真の編集で助けてくれたのは、フィリップと、グラフィックデザイナーのジャン、ピエールと、ピエール、イヴだ。今日、ピエールイヴと話をしたときに、昼間はどこで仕事をしているのかときいたら、石油会社で人事管理の仕事をサラリーマンとしてしながら、夜は、本業の仕事をしてから自宅へ帰るときいた。私は、理想主義者だったと、おもった。現地へいけないなら、開発途上国援助はもうできないというわたしに、新しい友人たちは、励ます。本をかいて、経験をかきながら、あふれてくる感情もかき、内部にあるおもいをつたえるには、ある程度の距離が必要だから、今病気の治療中で、現場へいけないからこそかけるのではないかと、はげまされながら、まだあってもいない読者に向けて、書いている。
パリの親友の美知子さんは、日仏の混血で、彼女は、定期的に電話してくれる。原稿ができたら、お祝いをしようかといってくれる。今は、本を書く時期だからがんばってと励ましの電話があった。現地へ行って病気でかえってきたのだから、治療して、よくなるまで、本を書く時期で、世界から取り残されたような気がしている私だが、一人ではないと気づく。
1994年、9月23日。世界にむかっていいたいことがあるなら、行って来い。才能がなくてつぶれるようなら、2年たってもだめなら福井へかえってくればいい。まだ若い。父にこういわれて、留学し、11年たとうとしている。一区切りだ。
入院中にであった、インド人看護婦、医師をはじめとする多くのひとたちからまなんだのは、健康がなくては開発途上国での仕事は困難なこと、寛容な態度、おだやかな物腰、はなしぶり、ユーモアの大切さなど、どこからきているのかとおもったが、仏教のおしえから来ていることが理解できた。
自分の健康問題で、苦悩していたとき、瞑想したらどうかと、スリランカでであったひとたちにいわれ、パリへかえってから、仏教の寺院をさがしていたら、バンセンヌの森にある、チベット寺院がみつかり、たずねてみた。早速、瞑想、祈りに参加し、音楽をつかったもので、心はおちついた。今は国際開発との関わり方をかんがえつつできることからはじめた。今までは現地主義だったが、健康問題で現地には今しばらくはいけなくなった。今までのことを報告書、本として刊行し、自費出版になるが、ひとつの区切りとしたい。
この本出版にあたって、パリで最近新しくであった友人たちに、お世話になった。なかでもアパートの水漏れ問題で執筆に集中できない私の窮地をたすけてくれたのは、フィリップ、写真の編集で助けてくれたのは、フィリップと、グラフィックデザイナーのジャン、ピエールと、ピエール、イヴだ。今日、ピエールイヴと話をしたときに、昼間はどこで仕事をしているのかときいたら、石油会社で人事管理の仕事をサラリーマンとしてしながら、夜は、本業の仕事をしてから自宅へ帰るときいた。私は、理想主義者だったと、おもった。現地へいけないなら、開発途上国援助はもうできないというわたしに、新しい友人たちは、励ます。本をかいて、経験をかきながら、あふれてくる感情もかき、内部にあるおもいをつたえるには、ある程度の距離が必要だから、今病気の治療中で、現場へいけないからこそかけるのではないかと、はげまされながら、まだあってもいない読者に向けて、書いている。
パリの親友の美知子さんは、日仏の混血で、彼女は、定期的に電話してくれる。原稿ができたら、お祝いをしようかといってくれる。今は、本を書く時期だからがんばってと励ましの電話があった。現地へ行って病気でかえってきたのだから、治療して、よくなるまで、本を書く時期で、世界から取り残されたような気がしている私だが、一人ではないと気づく。
1994年、9月23日。世界にむかっていいたいことがあるなら、行って来い。才能がなくてつぶれるようなら、2年たってもだめなら福井へかえってくればいい。まだ若い。父にこういわれて、留学し、11年たとうとしている。一区切りだ。