プッチーニの音楽と並んで、有名な音楽の一節は忘れがたい。西洋の窓口であった、出島があったのは、長崎。鎖国時代の唯一の外国との交流のあったところだ。
日本をはなれて10年11ヶ月たった。今年の9月23日で11年になる。成田から今はもうないAOLでパリへついたには、きのうのことのような気がする。
イタリアローマでみたひさしぶりの、着物、日本の伝統美、サムライの精神、死を準備し生きる日々、
自己を犠牲にする精神、日本の伝統精神の特徴ともいえるこの2つがよく描かれていた。
何回かパリで日本文化について質問されたが、このオペラは、西洋人の眼からみた日本であり、
イタリア人が(マリア、ピアイオナタ)演じるマダムバタフライであるが、11年ちかくヨーロッパ(パリに基盤をおき、イタリアローマへ1年半すみ、バングラデッシュに1年すんだが)にすみ仕事をしてきた一日本人女性として、日本文化の真髄を再発見した気持ちがして、途中で、感動して涙がながれるのをおさえることができなかった。
侍の姿をした裕福な男性が、かごにのせられて到着する。
マダムバタフライの求婚者。これも日本の古い、伝統のしきたりと近代化の狭間を描いているかと思う。舞台は1904年。明治時代。日本の歴史のうえで、サムライと日本の着物、芸者、さくら、そして切腹、(胸をさして死ぬのだが、)愛と名誉のためにしぬからこそ世界で、ミラノでもパリ(2006年に公演)でもローマでもヴェネチアでも演じられるのだろう。貫き通す愛は困難になりつつさるかもしれない。
これは、西洋からみた日本のイメージを集約したものだろう。子供が、ないてでてくるので、だきしめ、最後のほほ擦りをする。ジェスチャーは、本当に日本人とかわらない。イタリアのマリアが演じた蝶々夫人は今でもまぶたにやきついている。
夫にアメリカ人の妻がいることをしって、ひとりになり、のた打ち回る姿は、突然の別れの告白、あるいは、愛するひとのこころかわりをしったときのショック
をうけた経験をしたことのあるひとなら、理解できる。真実をしるつらい残酷な経験は、世界共通だろう。
イタリアローマのテアトル、デ、オペラは、夏になると、6月から8月は、外での野外オペラになる。カラカラ浴場でのオペラは、オペラファンなら一度入ってみたい場所だろう。去年は、ヴエルデイのオペラだった。
日本ではお芝居と映画化されたのはしっていたが、わたしは、まだ日本でもほかでも日本人女性の演じるオペラを直接みたことはない。一緒にみにいった国連の元同僚(オーストラリア人)からは、マダムバタフライを日本人女性が演じるのを日本でみてみたいといっていた。
ひとつの問いがでてくる。なぜ、蝶々さんは自殺したのだろうか。ピンカートンをころしたいとはおもわなかっただろうか。自分が死ぬ前にピンカートンをころし自分もしぬか、なぜ、伝統的な自殺をえらんだのだろうか。
3年まって夢にみたように、男の子と、3人で幸せな家庭を築けるとおもったのに、芸者が、結婚するのは簡単ではない時代。今でも芸者に関しては、あまりいい意味でかたられることはない。両親をたすけるために身をうり、芸者になった蝶々さん。15歳。その後、魂までうることはできなかっただろうか。
西洋と日本。いくつかのシーンでは1904年2月17日にミラノで最初のオペラ公演があった。そのとき、日本はすでに明治時代にはいり、サムライがかごにのってあらわれるというすがたは現実的にはなかったかとおもうが、日本が鎖国から開放されて、サムライも刀をすてたが、西洋人から見た日本は古いイメージとかさなり、西洋にはない独自性となり、オペラのような、総合芸術、(歌、演劇、ダンス、音楽、衣装、など)の場合は、古いイメージと創造性がかさなって面白いのかもしれない。
日本をはなれて10年11ヶ月たった。今年の9月23日で11年になる。成田から今はもうないAOLでパリへついたには、きのうのことのような気がする。
イタリアローマでみたひさしぶりの、着物、日本の伝統美、サムライの精神、死を準備し生きる日々、
自己を犠牲にする精神、日本の伝統精神の特徴ともいえるこの2つがよく描かれていた。
何回かパリで日本文化について質問されたが、このオペラは、西洋人の眼からみた日本であり、
イタリア人が(マリア、ピアイオナタ)演じるマダムバタフライであるが、11年ちかくヨーロッパ(パリに基盤をおき、イタリアローマへ1年半すみ、バングラデッシュに1年すんだが)にすみ仕事をしてきた一日本人女性として、日本文化の真髄を再発見した気持ちがして、途中で、感動して涙がながれるのをおさえることができなかった。
侍の姿をした裕福な男性が、かごにのせられて到着する。
マダムバタフライの求婚者。これも日本の古い、伝統のしきたりと近代化の狭間を描いているかと思う。舞台は1904年。明治時代。日本の歴史のうえで、サムライと日本の着物、芸者、さくら、そして切腹、(胸をさして死ぬのだが、)愛と名誉のためにしぬからこそ世界で、ミラノでもパリ(2006年に公演)でもローマでもヴェネチアでも演じられるのだろう。貫き通す愛は困難になりつつさるかもしれない。
これは、西洋からみた日本のイメージを集約したものだろう。子供が、ないてでてくるので、だきしめ、最後のほほ擦りをする。ジェスチャーは、本当に日本人とかわらない。イタリアのマリアが演じた蝶々夫人は今でもまぶたにやきついている。
夫にアメリカ人の妻がいることをしって、ひとりになり、のた打ち回る姿は、突然の別れの告白、あるいは、愛するひとのこころかわりをしったときのショック
をうけた経験をしたことのあるひとなら、理解できる。真実をしるつらい残酷な経験は、世界共通だろう。
イタリアローマのテアトル、デ、オペラは、夏になると、6月から8月は、外での野外オペラになる。カラカラ浴場でのオペラは、オペラファンなら一度入ってみたい場所だろう。去年は、ヴエルデイのオペラだった。
日本ではお芝居と映画化されたのはしっていたが、わたしは、まだ日本でもほかでも日本人女性の演じるオペラを直接みたことはない。一緒にみにいった国連の元同僚(オーストラリア人)からは、マダムバタフライを日本人女性が演じるのを日本でみてみたいといっていた。
ひとつの問いがでてくる。なぜ、蝶々さんは自殺したのだろうか。ピンカートンをころしたいとはおもわなかっただろうか。自分が死ぬ前にピンカートンをころし自分もしぬか、なぜ、伝統的な自殺をえらんだのだろうか。
3年まって夢にみたように、男の子と、3人で幸せな家庭を築けるとおもったのに、芸者が、結婚するのは簡単ではない時代。今でも芸者に関しては、あまりいい意味でかたられることはない。両親をたすけるために身をうり、芸者になった蝶々さん。15歳。その後、魂までうることはできなかっただろうか。
西洋と日本。いくつかのシーンでは1904年2月17日にミラノで最初のオペラ公演があった。そのとき、日本はすでに明治時代にはいり、サムライがかごにのってあらわれるというすがたは現実的にはなかったかとおもうが、日本が鎖国から開放されて、サムライも刀をすてたが、西洋人から見た日本は古いイメージとかさなり、西洋にはない独自性となり、オペラのような、総合芸術、(歌、演劇、ダンス、音楽、衣装、など)の場合は、古いイメージと創造性がかさなって面白いのかもしれない。
マダムバタフライの物語は日本にきてから、はじめて読んだ。蝶々夫人の純情を感動しました。
実は多くの中国人も古い日本のイメージ(侍、忍者など)を残り、明治維新が中国人にとって、恐らくただ軍事が近代化になったと思っているでしょう。ほかの分野での近代化(芸術、思想など)が全然目に入れない。蝶々夫人のことがもし分かってくれれば、日本のイメージを変わるでしょう。というは、私は当初そこから少しずつ日本という国が好きになってきました。ちなみに、今まで日本国内を旅行した観光地にもう一度行きたい所がありましたが、一番は明治村です。2年前、名古屋の万博を見に行ったときに、途中にいきました。万博(非常に込んでいるから)よりは印象を残った。。。。。ちょっと長いな。じゃ、また今度