辻総合研究所ーTsuji Consulting

パリと東京を中心にして素敵な出会いや、いろんな地域の暮らしや文化、経済、新しい夢に向かっての動きをお伝えします。

パリ日本文化会館で、越前焼6人展開催中

2014-05-07 23:56:48 | Weblog
 今年の3月17日から始まった、パリ日本文化会館での、越前焼6人展が開催中です。

よく電話かEMAILで、問い合わせが多いのは、象二つだ。花を担ぐ象と、象の水遊びという題がついている。

7区の区役所でのアンケート調査では、シマウマだったが、パリ日本文化会館では、象が一番人気が高い。

 小さめのを大屋宇一郎さんが、試作したそうだが、電気化ガスでないとうめく焼きあがらないという。

 今のサイズだと、w35cmXD20cmXH25cm だが、小さくなると、薪窯では焼き上がりがうまくいかないそうだ。

 フランス人が好むこの、プチ象作りは、商品開発の価値がある。


 陶器で動物というのは珍しいからか、ユーモアを感じさせるからかわからないが、フランス人が好むということが理解できた。


パリ日本文化会館で写した写真をご紹介しよう。




シモン神父の容態

2014-05-01 15:26:54 | Weblog
昨日、カシャンという場所へいき、シモン神父をお見舞いに尋ねた。シモン神父とは、アルジェリア人のソエイブという友人宅で、ニコルと一緒に出会った。もう13年前になる。一時は、毎週のように、私の家に来て、私の友人にパソコンを習ったり、コンゴの歴史を私と友人たちに話をしたり、退職していたが、ボランティアで、ライエアローズというところにある老人ホームで、神父としての仕事をしていた。最後の最後まで、お金に関係なく、仕事をしていた。でも、フランスの神父に比べて、コンゴの神父とは、身分、待遇が違うことを嘆いていた。
 私は、詳しい話はわからないが、今のところも、月に2300ユーロを払わないといけないといわれたらしい。これは全く不思議なことだ。
なぜなら、ライエラローズで、神父として仕事をしていて、道でたおれ、救急車で運ばれたのだから、何らかの措置が必要なのではないかと思った。シモン神父一人で払える額ではないし、ここに移ってから病気になったのであるから、神父としての身分、待遇で、治療をしてもらいたい。
 昨日,4階ある老人ホームでみたところ、各階とも、朝起きたら、テレビの前に椅子をもってきて、座らせていた。一人ではないが、何かグループで何か刺激になるようなことをしているかというとそうではないようだ。それでは、ただ、いきているだけになってしまうのではないだろうか。

 昨日は、今までのシモン神父と今見る現実の老いたシモン神父との違いの大きさにショックを受けた。私にとっては、人類学者で、博士号も取り、いつも話し好きで、玄関を出るまでも話し、玄関を出ても話しているシモン神父だった。よく私のところに来てくれて、必ず、アーモンドの入ったクロワッサンを持ってきてくれた。昨日は、4人分買って持って行った。食べれるらしいから、よかったと思った。

 弟も神父をしている。弟へいつも誰かを介して、お金を届け、小学校へ子供が活けるようにしたり、学校の先生に、お金を払わなければ学校には行けないそうだ。道で遊んでいる子供が多いと聞く。

 内藤美知子さんがまだ、いきていたころは、通訳の仕事で得たお金を全部、1)子供の生活・学校支援活動 2)シモン神父の家族にいる戦争孤児たちへの援助 3)職業訓練センターへの援助 と3つに分けて、私はそれをしっかり受け取り、翌日やってきたシモン神父に渡したのだ。内藤美知子さんの行動も、だれにでもできることではない。自分のことばかり、考えて生きていくのが普通だ。遠いアフリカのことを考える創造力のある人は少ないが、やはり存在しているのだ。このことに私は、感動した。

 それをシモン神父に話すと彼も驚き、内藤美知子さんみたいなことができる人は少ないという話をシモン神父といつもしていた。

 その貴重な存在だった内藤美知子さんも去年亡くなり、シモン神父も病気になり、半身まひになってしまった。今日は、よく集まった私の自宅での楽しかった日々を思い出して、少し寂しくなった。

 また、新しい仲間ができるだろうと信じている。

口座番号の変更

2014-05-01 11:47:25 | Weblog

昨日、シモン神父のお見舞いにカシャンというところまで、RERのB線に乗って行ってきた。一緒に行ったのは、シモン神父の弟神父のあるフォンス神父と、世話役のエマニュエル(男性)だ。コンゴの人たちは、冗談を言うのが大好きだ。お見舞いに行っても、悲壮なかんじがせず、笑ってばかりいた。シモン神父は、元気だったが、元気だったころの比べて、まず右半身が麻痺している。だから、左手で、モノを食べたり、お茶を飲んだり、ジュースを飲んだりすることはできるようだ。1年3か月間、倒れてから時間がたったと聞いて、それで、あちこちの病院へ行っていたので、連絡が取れなかったのだとわかった。住所もよくわからなかったし、私も共通の友人がパリにいなかったため、シモン神父の容態をしらせてくれるひとがいなかった。行方不明状態だったのだ。

弟神父にもあえたし、コンゴ共和国の教育事業に資金をだしてくれた、親友の内藤美知子さんも去年なくなったため、この事業は、一旦中止になっている。また新しい、協力者が出てくるまで時間がかかるだろう。

以下のように、この事業の寄付金の口座を変更したい。以下の口座の志のある方からの応援・支援資金をまっています。


福井銀行 店番号    106

     口座番号   6032575

     名 義    辻総合研究所

            代表  辻 秀子 (ツジ ヒデコ)



私が、障碍者になったと聞いてすぐ書いた2通の手紙が、すでに着いていた。その手紙を弟神父が読んでくれて、内容は理解できたようだ。それがうれしい。まだ、私のこともわかるし、話はとぎれとぎれだが、つなぎ合わせると意味が分かる。私はまだ慣れていないが、弟神父は慣れているので、何が言いたいかわかるそうだ。

閑静な住宅街に有る、老人ホームで、そこで、ゆっくり休養してほしいと願ってパリへ帰ってきた。パリのシャトレで皆別れた。

お見舞いに行って良かったと思う。