【日々雑感】
今年も残すところわずかですね。来年度のカレンダーです。
今は携帯とかあるので使用頻度は少ないとは故、トイレとデスクワーク、
ダイニングキッチンでは必需品かな。
実は過去のカレンダーも活用できるんですよね。勿論祝日などは無視して
日付けと曜日だけを確かめられればいい場合の話ですが……
ところが今年は閏年で、3月以降は使えないので、
とても気に入っていたのにまたお蔵入りになってしまいました。
先日、友達が「いつからしじゅう忙しか」というので、熊本弁かなと調べてみました。
「いつからしじゅう【始終】always 常に 常々 いつもいつも.」
確かに熊本弁の一つのようです。
他に、いつからしじゅうとは、こんな意味のことがありました。
「四十九日の意味 四十九日とは仏教用語のひとつで、命日から数えて49日目に行う追善法要のことを指します。 なぜ49日なのかといいますと、仏教では人が亡くなるとあの世で7日毎に極楽浄土へ行けるかの裁判が行われ、その最後の判決の日が49日目となるためです」。
まあ、それを心底信じて行っている方は少ないのではと思ったのですが?
実際本当かどうかが分からなくても、なし崩し的にずっと継続されていると、
もともとの意味とか由来とかはどうでもよくなって、
また新たな意味づけがされ、例えば家族や親族の絆を強めるとか、
既成事実化され、良いこと、重要なことになるのです。
もしやらないと、秩序を乱すとか批判され、
同調圧力を受けることになってしまいます。
クリスマスも同様です。確かに子供に楽しい思い出を作ってあげたいと、
また夢を失わないようにと、サンタという架空事実を教えたりします。
今ではクリスマスの日がイエスキリストの誕生日ではないと良く知られており、
異教に由来し聖書的根拠はないと分かっていても祝う人が
全世界的に多数を占めています。
それらの人は、むしろ、なぜ世間の不評を買ってまでクリスマスの祝いをしないのか、
問題にする必要はないのではないか、と言うことでしょう。
聖書はわたしたちに自分で考え、「理性」を働かせるよう勧めています。
また、真理つまり真実を重んじるよう教えています。(ヨハネ4:23,24)
でも何から何まで義に過ぎてそうしているわけではないのですが……
聖書の諸原則に反するなら、たとえ世間の不評を買うとしても、そうするのです。