スペインの画家、J.トレンツ・リャド の絵画のような
壁縮緬のお着物です。
シルクスクリーンの絵画のブームで
おなじみの方も多いでしょう。
新小岩駅から歩いて約10分の住宅街に、
原画を常設展示している「杉山美術館」があるそうです。
是非機会があったら行ってみたいな。

ヤフオクと言えば買ったものもあります。
ひまわり 復刻版です。
小学生の時担任の先生のお見舞いに行った時、
姉妹誌の「それいゆ」を見せていただいてから憧れの本でした。
まだ戦後間もないのに、こんなおしゃれな雑誌が
発行されていたのは驚きです。

そしてまたまた驚いたのは次の記事でした。

赤毛のアンの翻訳者の村岡花子さんの記事、
「一月にからまる神話」に聖書の神エホバの名がありました。
実は、明治時代に翻訳された「文語訳聖書」の中では、
神さまのお名前が「ヱホバ」と訳されていたので、
聖書を読む人々やどの教会でも「ヱホバ」や「ヤハウェ」を
違和感なく使っていたとのことです。
でも昭和29年にエホバの名前を「主」に変えた
「口語訳聖書」が出版され、
その後のどの翻訳も「主」や「神」に変わりました。
勿論、日本のみならず全世界的にです。
一般に旧約聖書と呼ばれる部分のもともとのヘブライ語本文には、
ほぼ7,000回以上も出ているのにです。
(詩 83:18)
「人々があなたのことを知りますように。
エホバという名を持つあなただけが,
地球全体を治める至高者であるということを」。
さすがにこの部分は神のお名前を外せない聖句でしょう。
古代写本に何千回も出てくるみ名を省くのは,
著者に対する不敬と言えるでしょう。
イエスの模範的な祈りは次のような言葉で始まっています。
「天におられるわたしたちの父よ,
あなたのお名前が神聖なものとされますように」。(マタイ 6:9)
でもなぜ神の名は外されなければならなかったのでしょうか?