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西宮北口、サンボアの思い出(その2)

70年、この頃までは福神漬けの容器がテーブルに置かれ、自由に食べることが出来たと思う。水は座るとすぐ出てくるが、おばちゃんから『辛いからとあんまり水飲んだらあかんよ。余計に辛くなる。』と言われる。ビーフは普通のカレーなのだがかなり水分が多く、新宿中村屋のインドカリーに少しだけとろみを足した感じであった。

ビーフを頼むと肉の小さな塊が別の鍋より加えられた。味はかなり辛めで、汗かきの野球部先輩I本さんはいつもハンカチ片手で食べていた。サンボアとはご飯をフライパンで炒め、ほぐしながらルーをかけて混ぜ、アルミの型抜きで成型して出される。頂上に卵黄が乗れば大阪で有名な法善寺のカレーになる。ルーは一種類だけだったように思う。

インベロップとは上記サンボアを卵でくるんだオムライスカレーで、ケチャップの代わりに具なしカレーがかかっている。その横に先述のドレッシングであえたキャベツの千切りが付け合せになっていた。常連になると赤ん坊の枕ほどの大きさになり、それを卵1個でむらなく包むのがおじちゃんの腕だった。

カツカレーは注文を受けてから少量のラードで焼くように揚げる、薄いカリっとした洋食屋風ポークカツが付いた。このカツは結構美味い上に1枚50円と安く、ダブルカツカレーとかインベロのカツ載せなどの裏メニューを生んだ。

70年頃の価格はドライ、ビーフ、ハイシ、サンボア、ピラフが150円、インベロ、カツが200円だったように思う。また噂では朝に出すトーストとコーヒーのモーニングセット、確か60円? のコーヒーが素晴らしく美味いという話であった。残念ながら朝の6時~9時頃の限定メニューだったので、飲んだ事はない。朝の客は阪急の社員と夜勤明けのタクシー乗務員がほとんどだとおじちゃんが言っていた。

その内ハイシがなくなり、ガーリック臭を取るためフライパンを丁寧に洗う手間が大変という理由でドライが裏メニュー(メニューリストからは消えたが常連はこの後も食べさせてもらえた)になり、値上げを防ぐため福神漬けも消えてしまった。但し、この辺の記憶はかなりいい加減なので多少話が前後しているかも知れない。

その3に続く

コメント一覧

ひげぼーず
ここ水を出さないで有名なとこでしたっけ?
あいにくまだ行ったことありません。確か
いい値段でしたよね。
伝説の介護福祉士
先日、松尾さんのサイト見て高輪のサンラインへ行きました。ひげぼーずさんはすでに食べに行かれたと思いますが。
ひげぼーず
こっちをよくご存知ですね。これも偶然(笑)で
すがワッツは無くなった替わりにテラという店に
なって北口で営業中です。

オーナー、店長はそのままです。お店は綺麗にな
中央線のライブハウスではないみたい(笑)

ここで行われた誕生日パーティの模様は、もうす
ぐUPします。
伝説の介護福祉士
西荻てワッツかな私は中山から徒歩15分くらいのとこですが、そういえぱ妹尾さんて実家は中山でしたね
ひげぼーず
現在練馬から埼玉に300mほど踏み込んだ(笑)
新座というところに住んでおります。宝塚は学生の
頃よく遊んだ所です。(逆瀬、南口あたりですが)
妹尾師匠の実家でもあります。

今日は師匠の誕生パーティライブが西荻であります。

JIROKICHIは健在ですよ。PA担当のワオさんも元気ですし。
関西出身のミュージシャンがよく出ています。
ひげぼーず
伝説の介護福祉士さん

なんちゅう偶然でしょう。レッスンが終わっていて妹尾師匠には会えませんでしたが、今Jirokichiでこれを書いています。

イーモバイルすごいなぁ。地下でもちゃんとつながります。

サンボアのカレーは本当にまた食べたいと思います。レシピを聞いておかなかったのが返す返すも悔やまれます。
伝説の介護福祉士
サンボアて懐かしいなあ私にはピラフと卵かぶしたインベロしか記憶にないけど、もう一度食べたいカレーやな妹尾さんとは10年くらい前にジロキチでお会いしましたね
ひげぼーず
梶田さん、こんにちわ。

店のあった場所は、再開発でなくなってしまったようです。おばちゃんは和歌山に帰られたんじゃないか、という話を聞きましたが確かめようもありませんし。

一度、娘さんと名乗る人がサンボアについて教えてくれという書き込みをしていたのですが、イタズラらしくレスはありませんでした。
梶田です。
サンボアカレーの記述の投稿を読み、投稿します。
私は、80年代~のサンボアしかしりません。メニューは1種類のみでした。高校・大学・92年入社の頃までお世話になりました。
今でも、懐かしく思います。まだ、おばさんがおられれば、会いたいです。
何か情報はありませんかね。
ひげぼーず
なおきっとさんの通われた頃はおじちゃんが亡くなられた後ですね。やはり一人でやるのは大変だったのでしょう。レシピを残してなかったら見よう見真似で作ってたのかもしれません。

私が通ってた頃でも男子学生がほとんどでしたが、若い女性も珍しくはありませんでした。『うちのんは辛いよ。大丈夫』と聞かれていましたが(笑)。最初から断っていたのは子供だけだったと思います。

うちの子は辛いの平気ですと食い下がる親も居ましたが、それでも断られていましたね。
なおきっと
サンボアを懐かしみ、検索していてこのブログに辿り着きました♪ここでサンボアの遍歴が少しわかった様に思います。私は,1986年頃行きました。その頃は、おばちゃん一人で、メニューは一つ、「薄くて黄色いカツカレー&キャベツの千切りドレッシング掛け」ワンプレートでした。カレーの香りはあまりせず、ぼーずさんコメントにある、様々なメニューや辛いという話が同一店とは思えないくらいです。しかし当時も個性的なこのサンボアカレーを愛し、中毒になる人は多かったです。女子大生(当時)の私が入店するとおばちゃんを含め、店内の人全員に奇異の目で見られるくらい、客は皆,男子学生でした。【サンボア番外編】にあるように食べ終われば食器類をカウンター上段に置くのは、お約束でした。そして「ご馳走さま」と言うのも。80年代にサンボアに何かが起こり、大きく傾向が変わったのでしょうね。
ひげぼーず
私が関東に出てきたのが78年、それまではチョコチョコ通ってましたから、ろっきーどさんとはラップしていますね。確かに、あの辛さは後をひきましたが、それがまた良かった様に思います。
ろっきーど
サンボアには74年頃から80年頃まで通いました。メニューはインベロだけで、裏メニューでピラフ。250円。食べ終わってから30分くらいは口の中に辛さ、頭にしびれが残ってました。
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