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フリン師の思い出(その2)

清貧という言葉がある。字の如く、清らかで貧しいこと。辞書によると、富を求めず、正しいおこないをしていて貧しいこととある。恐らく今の日本では死語だろう。かく言うぼーずもこの歳になって、初めて辞書の意味を読んだ。バブルの中で叫んだ日には狂人扱いされていたに違いない。そして意味を知っていても、実際には例を見たことのない人がほとんどではないだろうか。

ぼーずの中学には色んな国から来た教師がいた。種明かしをすると彼等は教師として雇われていた訳では無く、教会から派遣された神父や修道士達だった。総じて彼らの質素な暮らしをしていた。強歩会という36Kmを5時間以内で完走するというイベントで世話人をした時、着替えの場所にボロ布が置いてあった。責任者の先輩に捨てますかと聞くと、『アホ。これA神父の上着や』正確には神父用のシャツであったがびっしりとツギが当たっていた。

バスケの顧問だったフリン神父もそれに負けない人でバスケットシューズや体操着はいつもヨレヨレになるまで使っていた。断っておくが教団に金が無いわけでは無い。彼等は必要なものがあれば出納係に伝票を切り、欲しいものを買う事が出来たのだ。買えるけど無駄なものは買わない・・・というよりモノに執着しないよう自らを律しているように見えた。

いつからだろう、バスケット部の卒業生は師に靴や運動用のウエアを贈ることが習慣になった。流石の師も贈り物はしまい込まずにちゃんと着てくれた。それも、最初の日は少し恥ずかしそうに着てくるのが微笑ましかった。当時は今はやりのバカでかいロゴが背中に入っているようなものが無くて幸いだったと言えよう。

そんな師が好きな唯一のゼイタクというのがオートバイ。なにせ昔のことなのでメーカーも憶えていないのだが、大抵の移動はオートバイであった。当然、家庭訪問も乗って来たが、今ほど細かい地図が容易に入手出来る時代では無い。学校に提出した地図を頼りに探してくれたのだと思う。

補記:友人のO嶋より『バイクは間違いなく古いハーレー』との連絡をもらった。Vツインの大型ではなく、排気量は小さめのタイプだった。
その後、同じく同級生だった968から『本人に聞いたらドイツ製と言うてはったぞ』と連絡をもらう。・・・真相は藪の中か


もっとも、次の家庭へ行く時はオートバイの後に最初の生徒を載せ、そいつに道案内をさせた。当時はノーヘルで師はかなりの飛ばし屋。未だに付き合いのある同級生ハラの家まではあっという間だった。その時に覚えた、風を感じながらすっ飛ばす爽快感は忘れられないものとなった。

長じてバイクに乗りだし、バイクを作る会社の門を叩いたのはこの時の体験があったからだと思う。昨年、神戸山の手幹線でネズミ取りにやられた。『ご主人の年代なら、もう少しおとなしく走って下さい』と警官に説教された。罰金は払うから聞けと前置きし、警官が隠れてコソコソ取締りするんじゃねーと目一杯文句を垂れてやった。

ただ、ここの一言だけは口にせず心の中で叫んだ。『スピードの出し過ぎやぁ?お前なぁ。ワシのせんせが飛ばした日には、あんなもんやないど。』

コメント一覧

ひげぼーず
はい、MGCのアンクルタイプ持ってました。

自分でバレル切って、本に収めたのがM本でした。トリガーガードも上半分を切ってゲシュタポタイイプにしてた覚えがあります。
日陰者
http://gazo.shitao.info/r/i/20150814004256_000.jpg
>クロッパー氏
なるほど。親御さんはインディアンに乗られたほどの熱狂ぶりだったから、ここまで詳しいのも頷けるわな。

>ウナギのM本
「鰻の秘密解説本」?(The Mystery of eels)のことかと暫く悩んだけど、モテモテ青年実業家の「ひげふさふさ」氏のことやってんね。納得。知恵熱が出ました。

貴殿もマズル・ブレーキがついたアンクル・モデルをお持ちやったような気がしたが、勘違いやったようで失礼。

・・・で、人気者であるO氏のメンツを尊重して、公式「ハーレー」、裏車種「NSU」ちゅうのが大人の見解として良さげな気がします。

 ほな、そろそろ海底基地に戻るので、再び深く静かに潜ります。ばーはーは~~い・・・「うーーやぁーーーたぁ~~~!」よりはナウイやろ。

 ほな、そろそろ


ひげぼーず
日陰者はん

アレー??誰かなぁ(笑)

R&B聴いててウルシのかつけあい(相手はS菊)覚えてるかぁ

本をくり抜いてP38隠したのは、ウナギのM本です(笑)
日陰者
ひげぼーずはん
次コメを書いている間にレスいただいたようで、とんだ頓珍漢な前コメ、失礼をお許しを。

>968氏
深読みしすぎたようで、赤っ恥をかきました。
「スティーブ=クロッパー」・・・そこまではワテのオツムでは読み切れまへんでした。てっきり御身と共に玉入れに死闘を重ねた戦友、護謨の専門家と察しやした。
日陰者
前掲の写真がそのものズバリっちゅう訳やないで。
偶然目にした時に「おっ! 似とるやんけ!」とカシャっとした次第や。
車種を特定するには至らんが、カムをコンロッドみたいなんで回す高価格タイプでは恐らくないやろ。
ワシの読みは、進駐軍のGIが個人的に持ち込んだものをお裾分け。

 968氏。判ったわ。
その独特の「~」「ー」「ん」「○」「、」の神懸かり的な使いこなし。「先生」と言わず「センセ」と軽く流す、計算されつくした小粋さ。
そんな達人は国内で数えるに、片手で足りるぐらいしかおらん。確定したも同然やな。

 高崎山で豆を蒔かれた時に、レンズやなしに条件反射でそっちを見る、疑うことを知らない、素直で澄み切った心の綺麗な御仁やな。

護謨が大好きで、「護謨甲。護謨甲」が日頃の口癖やった。表面にブツブツがいっぱい付いた、自慢のでっかい玉を、中に入れるほど周りからジワジワ締め付ける狭い所に入れるのが、得意で大好きやったお方やろ。
あくまでもワシの第二の主幹・・・もとい、第六感で主観やけど、護謨輪体もお好きなんちゃうか? それに968やったらベンチマークとしても出色の出来かも知れんな。

 なお、ワシは単なる通りすがりのジジイに過ぎんからな。漆の実の投げ合いで、あんぱんまんに変身したり、本くり抜いてP38を持ち歩くような奴とは、会ったことも喋ったこともない。

以上は全てワシの組織、KCIA(河内CIA)の諜報網と、Z80を駆使した最新の情報分析力が為せる技や。長文スマソ
ひげぼーず
日陰者さん

立山で使ったテント、講堂の備品(綿のアメフトユニフォーム)など進駐軍放出品はあちこちで見かけました。

戦前からあったならドイツ信者の贈り物かもしれませんな。体育館だったか講堂だったか覚えてないけど、ケルン教会からの寄付金が寄与していると聞きました。

968はギタリストのスティーブ=クロッパーから来てま。予餞会で三島由紀夫やった人(笑)
日陰者
http://gazo.shitao.info/r/i/20150809221440_000.jpg
NSUに1票。
http://gazo.shitao.info/r/i/20150809221440_000.jpg
クラッチ/ブレーキ・レバーのピボット(支点)がバー・エンドにある、ひねくれた設計やった記憶が、おぼろげながらある。確かにこけても折れるリスクは少なくなるな。戦場やったら立ち往生は、生死に直結やもんな。

シートは確実にサドル・シート(氷屋のおっさんのチャリみたいなの)で、当時のCB72なんかに比べ、えらい古臭くブッサイクに思えた。

 これとは別に、たまに乗っていたデカめのは土管のバイクや。「ドドドドッ、バッスン、ボンッ」とか低音のでかい音で、天寿を全う直前の賑やかな音がしてた。これもツュンダップ辺りやと思う。多分単気筒や。少なくともUSもんではないな。

 憶測やけど、どっちも進駐軍が持ち込んだ戦利品を、貰ったんとちゃうかな?

 ところで「968」さんはどなたかな? ヒントだけでも。由来は鹿の角と跳ね馬印のぶーぶーのオーナーさんか? それとも遺言専門の公証人さんか?

ひげぼーず
キックとチェンジペダルが同じ側にあるのは理にかなってるんやね。最悪は日本。役人が『車は右足でブレーキを踏むのだから、バイクも同じにしろ』と言いだしたんや。

従ってまたがったら、左足でギアをニュートラルに入れ、その足を下ろし右足でキック。また左足でローに入れ、右足をブレーキに乗せる、と行ったり来たりせんといかん。

右足をチェンジにすれば左足はつきっぱなしでいいのにね。今や使いにくい日本方式がスタンダードになってしまってる。
968
遅れもってすまん。
そやそや、NSUや。
センセ、右足で左をキックしてはったわ。
http://kuruma-ex.jp/bike/detail/66832
ひげぼーず
ん、O嶋自信を持って言うてたゾ(笑)。確かに後で思えばNSUかなという気はしてたんやけどね。うーん、真相は藪の中か。ハーレーも単気筒作ってたからね。2台乗ってたんかね。
968
んー、フリン師のバイクなぁ~、僕いっぺん聞いたことあるけど、「ドイツのです。」って言うてはったで。
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