会社に入って工場実習中の78年はショーが非開催の年であり、配属先の浜松から関東に出てきた81年に開かれたのがこの24回だった。バイクの開発がこちらでの新しい仕事であったため勇んで行ったのだが、何を見たかまったく覚えていない。カメラすら持って行かなかったと思う。覚えているのはたった2つだけだ。
当時スーパーカーブームは終わったとはいえ、依然として車は子供に人気があった。どうもメカ的なものは子供の心を捉えるのだろう。その時BMWは日本支社を持たず、Bというディストリビューターが販売を担当していた。元々はオートバイの輸入に強い会社だったと思うが、4輪も担当していたのだろう。
BMWのブースに行くとここの社員らしき男性が『ガキがベタベタ触るから、拭いても、拭いてもきりがない』とこぼし合っていた。ぼーずは心の中で、愚痴を言うなら客に聞こえないように言え、鼻たらしたガキでもお客様予備軍だぞ、とつぶやいた。当時の外車は一部の金持ちのものであり高収益であったが、こんな売り方に未来はないと感じたのだ。
案の定それから数年後、BMWは現地法人を立ち上げ最も成功した外車販売会社の一つになった。ちょうどドイツ駐在から帰任する88年頃、BMWジャパンは前にも増して、人材の確保に力を入れ出した。ぼーずより少し前に帰った同僚の多くは転職を請われたと言っていた。まだ今の会社に未練のあったぼーずは、失礼の無いように断るにはなんてことを考えていたのだが・・・お誘いは全くもって来なかった。ははは、やっぱりなぁ(笑)。ちょっと寂し~ぃぞ。
しかしこんなことしか覚えてないとは、情けないもんだ。えぇ?もう一つ?・・・帰りに食べた江戸銀の寿司がとても旨かった(笑)。当時の安月給ではコストパフォーマンスの高い江戸銀とてそうそう通うわけには行かず、こんな時でもなければ食べられなかったのだ。我ながら食ったことだけはよく覚えているなぁ。余計に情けなくなってきた。
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