自分で認めるのも何だが・・今やこの面影はないゾ。当時はパソコンなんて無いから自分の手書きでエントリーシート(この言い方もなかった。入社願い?かな)を書いた。僕が願書を出したのは大学4年の秋。今の学生にそんな話をすると『えー!?そんな遅くまで決まらなかったの?』と言われるだろう。
77年と言うのは不況のさなかで買い手市場、会社訪問解禁はなんと4年生の10月1日からだった。取り敢えずリクルートスーツ(この言葉もないな・・シツこい?)を着て東京まで会社説明を聞きに行く。2年上の先輩たちは会社訪問にすら交通費が支給され、4~5社を回って懐を膨らませ帰ってきたというのに、僕らの時は何も無し。くそーもうちょい早く生んでくれていたら(笑)
当時、希望した会社は原宿にあり、他に東京の会社を受ける気もなかったのでそのまま原宿見物としゃれこんだ。残念ながらスマホはまだ存在せず、ぴあを知らなかった関西人にそうそう行く所はない。吉田拓郎の『ペニーレーンでバーボンを』を思い出し、そこに行ったがおしゃれなカフェ風の店で、昼間からバーボンを飲むような店ではなかった。
ここでバーボンを飲む奴は田舎もんだとコーヒー飲んで帰ってきた覚えがある。入社試験は11月1日と真面目に訪問してると結構大変なのだが、回ったのは5社に満たなかった。なんと大らかな時代・・・ではない。当時としてもこれは余りにも少なく、入社後に同期の連中から『お前、そこまで就職舐めてたのかよ』と多々お叱りを受けた(笑)
特筆すべきは面接で、『何か、学生時代に(作った)人に誇れるものを持ってこい』であった。これは当時業種を超え新聞等でも話題になった設問であったがそれ以来こういう変わった試験は無くなり、ウチの試験が世間で話題になったことはない。ま、お前みたいなスチャラカ社員を採ってしまって・・と人事が思ったとしても不思議ではないか(笑)。
因みに、僕がその時持ち込んだのヴィーナスのスケッチ。指導してくれた高校美術の先生とのやり取りや、角度が悪いからと言って勝手に像の向きを変えくさった愛すべき悪友たちの話で面接官と盛り上がった。運動部にありがちなスパイクやジャージを持ち込まなかったのは良い戦略だったと今でも思う。
下の写真が受験票に貼ってあったのだ。使用前の若い頃。
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