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机から出てきた古い免許証入れにはもう1枚名刺大のものが入っていた。研究所に異動配属された時のIDカード。職番を書いたでっかい紙を持ったまま写されている。俺はアメリカの囚人か!?写真を取り違えない様にという、当時の総務らしい合理的で素晴らしい手抜きだ。今は名簿に従って写真を撮ってくれる。

入社時の志望は多くの文系が希望する営業であった。面接でも『君は営業だよねぇ~』という有難き(罵倒の?)コメントを貰っていたのだが、なぜか製作所の生産管理だった。ここでも『うちに来た新卒は翌年営業に飛ばされるよ』と言われ続けていたのに、2年目間近になってもまるで音沙汰なし。

このままでは会話にガンコ(=Veryの遠州弁)なんて言葉を使うようになるなぁと怯えていた4月の明けに2輪研究所へ行くかという話が舞い込んだ。面白そうなんで『行く行く』と即答した。自分で言うのもなんであるが、なんせ生意気なガキだったので、さぞかし係長は大喜びと思ったが、送別会では涙を浮かべ送り出してくれたのに驚く。・・・まさか泣くほど嬉しかったとか(笑)

『まずは部品を覚えてもらおう』と言われ、部品管理Grに配属された。それまでに乗ってきたバイクはみなY社製(当時は2スト派だったからね)だったが、バラしては自分で整備してきた・・つもりだったのだが、完全バラバラになってるとさっぱり判らん。更に言えば当時の研究所の物流は製作所の足元に及ばないほど遅れていてオンタイムでの納品状態が判らない。誰に聞けっちゅうねん?

また、運よく?納品されても依頼書にはミミズがのたくったようなサインがあるだけで誰の要求かが不明。せめて内線番号位は書く気にならんかと設計者達に聞いた所『すぐに連絡してもらえるなら電話Noくらい書く、書く』と言ってくれた。早速上司に打ち上げると『依頼書を発行する手配Grには君が言ってきなさい』

さすがは研究所、妙な壁は無いんだとそこの番頭?に直訴し、大きな誤解があったと判る。『そんなもん。お前が設計の名前を覚えればいいだろ』と取り付く島もない。これが判っていて俺を使いに出したな・・・今ならそう悟って、まずは引くのだが、なんせ青春真っ盛り『そんなもんシステムじゃないだろ。ここは田舎の村か?』と生意気を絵に描いたような反論をかのサブリーダーにぶつけた(笑)

そうこうしてなんとか部品を覚えたと思ったら半年でいわくある手配Grに回される。そこのリーダーS氏は口うるさいが苦労人で部下思い、ずっとお世話になってしまった。問題はその下のサブ。ねちっこい性格で何回衝突したことか(笑)。後年、Sさんの退職記念パーティでは『あいつ殴って会社辞めてやろうかと思ってました』と言ってるのにニコニコして話を聞いてくれた。

この分なら、あいつシバいててもお咎め無しだったかも。惜しいことをしたな。まぁ、こっちも分別が付いたし、今からドツキに行くほど執念深くもないので、枕を高くして寝てくれたまえ。元番頭クン。

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