こいつに通れば後は警察の試験場で手続きだけすれば免許が手に入る。0から習った車と違い、限定解除は実技だけだったので約1ヶ月ちょいを要した訳だ。と偉そうに言ってもまだ合格したわけではないので、落ちれば免許取得はまた先になってしまう。
最初に免許を取りに行ったのは20歳の頃、兵庫県は明石にある運転試験場だった。YAMAHA FS1という50ccのクラッチ付に乗っていたので何回か通えば通る位に思っていた。実際その頃は125ccが教習車だったので、何回か通って取ることはそう難しく無かった。そうこうするうち、2輪の事故が多いことを理由に大型2輪という免許が新設された。
この頃は現在のように自動車学校で免許を取る事も可能であったが、当時、学校で取る奴は根性無しと呼ばれた。何回落ちても試験場に取りに行くのが男の子(笑)。初めて試験場へ行くとカワサキのSS350というバイクに乗せられた。さすがは兵庫県、ご当地もののカワサキかい、と思ったのが間違い。ありゃ絶対落とすためだ(笑)。
このバイク2ストローク3気筒。マッハと呼ばれた最速の500ccをスケールダウンしたものだった。スピードに振ったためか低域トルクが無く、エンジン回転数を上げていくと突然パワーが出るという、初心者泣かせのバイクであった。事実エンストを起こし、焦って今度は回し過ぎ前輪を浮かせるものや、S字を直進し、縁石に乗り上げても止まらず、芝生の丘を登ってしまうなど、今では考えられない事を目の当たりにした。
1回目は最後まで走らせてもらえぬまま、中止。2回目は最後まで走ったけど結果不合格だった。兵庫県は落ちた奴の受験票を上の階のダクトより投げ捨ててくれるのだ。下で待っていて、自分の受験票がヒラヒラ舞いながら落ちてくると、本当に落とされたという気分になった。3度目を受けようとしていたらFS1が壊れた。フライホイールが割れると言う信じられない故障だった。
修理に当時の金で数万かかると言われた。そこまでかけるつもりも無くパーツ取りに引き取ろうとすると、分解料代わりに車は置いていけと言われた。今なら消費者センターに持ち込んでやるのだが、当時はおとなしい学生?だった為、泣き寝入り。その後段々と募る悔しさで2輪への興味が失せて行った。あの頃免許取っておけばなぁ。
賭けてもいいがあの店、車を修理して売ったに違いない。書いていてまた腹が立ってきた(笑)。今度関西に帰ったら、店の看板に小XXでもひっかけてくるかな。
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