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恩師と母校

高3時の担任が入院中と聞いた。暇な時に行こうと思ったが、恩師は一回り以上歳が離れている。二回り以上離れた親父と同い年の神父を訪ねた時、記憶をだいぶ無くされていたのでサシの会話は結構大変だったのを思い出す。その後で一人で見舞いに入った奴より『いやぁ、大変だった』と言われ・・・やっぱり(笑)。

今日19日に東京より友人が二人、見舞いに行くというのを聞きつけ、一枚噛ましてもらう。恩師の記憶は確かだったが、声が出なくなっており複数で行ったのは正解だった。お孫さんがバイオリニストとして活躍されていると聞いていたが、オーケストラの中心でソロを弾いているDVDを病室で見せてもらった。

見舞いなので1時間ほどで退出し、車で母校に向かう。関東組の2人がまだ、新校舎を見ていない。それと最近は東京で後輩達が企業を廻り、社会見学をしているそうだが、その手伝いをするため生徒会長と打ち合わせをすると言う事だった。現在校長は友人のK泉(昔の名はSだったが・・・)なので校長室に案内される。

当時のシュワイツェル校長には度々呼び出しを喰らい、イヤイヤ行った校長室なのであんまり入りたくないなぁ(笑)校内放送が生徒会長のT君を呼び出していた。『いきなり校長室に来いはないぞ・・・俺やったら逃げてるし』『アホ!お前と違う』ただ校長室にはソファーなどもあり、ドアを開けて椅子に座った校長と対面していた昔とは大違いだった。



その後、校内を案内してもらう。エレベーターなんか付けやがって・・・俺から10万もふんだくって、これか!?と文句を垂れたら『今はバリアフリーが義務付けられ、新校舎を建てる時に付けるのは常識や!』と校長に怒られる。まぁ怪我の多い男子校、松葉杖ついてる奴は必ず居たしなぁ。



図書館前を行く。僕等が在学中と同じデザインの床、人造大理石モドキは樹脂製に変わったそうな。



中に入ると縦長の明るい図書館になっていた。しかも女性職員ばっかり・・・僕等の頃はSさんというおばちゃんだけと言いかけ、今考えたら彼女もおばちゃんに見えたが若かったんだろうな(笑)。



近代的なパイプ椅子の教室に交じり、僕らが使った木製の机が置かれている予備室があった。重く頑丈だが、木の暖か味がある。全て校内にある木工場でドイツ人のマイスター、ヒルケル・メルシュの両修道士によって作られた。



パンツ1枚で掃除する便所当番も健在。ただ校内は僕らの頃から考えられない位に暖かかった。便番の写真を撮らせてもらったが、まさかチャイルドなんちゃらと騒ぐ奴はおらんだろうな(笑)
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