そうする内に、こちらも年を取りバスケをする気力が無くなり、後輩からの連絡も途絶えた。3日に母校に向かうのは20年いや30年ぶりじゃないだろうか。もちろんバスケではない。昨年立て続けに同級生を失くした。彼らを偲ぶ会を母校の聖堂で行う事にしたのだ。
母校は六甲山の中腹にあり、学生時代は10数分で登れたが、今だと倍以上かかるのは目に見えている。迷わずタクシーをつかまえた。急坂の途中で同級生を発見するが、敢えて歩く奴の邪魔をする気はないのでそのまま抜き去る。死なずに辿り着けよ。
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校門にはガードマンが立っていたが素直に入れてくれた。校舎は建て替えの為に取り払われており、運動場には仮設校舎が並んでいる。(上の写真)入り口には初代校長の『すべてのものは過ぎ去り、そして消えていく。その過ぎ去り消え去っていくものの奥にある永遠なるもののことを静かに考えよう。』という石碑が透明なアクリル板で囲われ置かれていた。
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この岩は昭和初期の大雨の時に上から転がって来たそうだ。石碑になる前は校舎の前に置き去りにされ、上に登って遊んだものだが卒業前にオブジェ?にされてしまった。こんなもんガードせずとも、持っていく物好きはおらんだろうに。アクリル板は生徒の落書き除けか(笑)。アホなOB用かもしれない。
自前の坊主(カトリックでは神父と呼ばれる)を用意出来るのが我々の学年の強みだ。同級生司祭による追悼のミサは粛々と進んだ。先立った友の写真を見ていると、ダラダラと過ごしたようだが、結構長く生きてきたんだという思いが頭に浮かぶ。もっとも、静かに考えたのはそこまでで、終わると直ぐ宴会場に向かう事になる。聖堂前の聖母は無言で我々を見送ってくれた。
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