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最後のみこしが・・・

5年前だった。『同窓会という祭りには恩師というみこしがある方がいい』と書いたことがある。特に関西から東京に出て来た我々にとって恩師はみな関西在住、顔を見る機会は限られる。その点、管区長の号令ひとつで異動する転勤族?である神父は有難い存在といえた。

博多、萩、広島、鎌倉、札幌と各地に神父の恩師が散らばっていたため、どこかで会うことが可能だったし、こちらから押し掛けることも容易だった。東京にも何人かの恩師がいたがその数も減ったため、ここ数年はある恩師の誕生日を同窓会にしてきた。

住居のすぐ近くで開催していたが、3年前は幹事が迎えに行ったら床に倒れており、また昨年は大雪の為と主役を欠いた誕生会も開かれた。今年はかなり弱っておられ、住居も神父の養老院?と言われる石神井のロヨラ=ハウスに移られた為、ここで来月28日にやらせてもらおうか等と言い合っていたのだが。

そのみこし、Francis Mathy(フランシス・マシー)神父が28日の夜、心筋症でお亡くなりになってしまった。マシー神父、長い間お疲れ様、ゆっくりお休みください。元悪ガキ達もその内行きますし・・・・あっ、あの世ではあんまり怒らんとってくださいね(笑)。

師の事はここに少し書いた。今後は少しずつ生まれてからの話を聴き取り、残そうという話をしていたのだがさぁ何人が覚えているだろう?

学生時代は運動より読書の方が好きな大人しい生徒だったそうだ。日本語を大学で学んでいた為、終戦後すぐに来日しGHQで働いていた。その時の宿舎が今もある有楽町 電気ビルヂングだったので、ここの階上にある日本外国特派員協会を懐かしみ、Barでの会食をとても喜んでくれた。

最初は軍人として、2回目は敗戦国の荒廃を見かねて神父として来日された。我々が中学生の頃は生活態度等に厳しい師であったが、晩年は優しい爺ちゃんと化し、昔を知る者を驚かせていた。もうちょい、担いでいたかったというのが偽らざる気持だなぁ。合掌。
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