長すぎる独り言のなので疲れている人はどうぞスルーしてくださいね
週に一度はできるだけ”はり”に行く様にしている。
特に効いてるのか、効いてないのかはわからないけど(もともと不調な所は特にないので変化が見れないのだ)。
ハリをうってくれるのは中国人の女性の先生、とても穏やかなかわいらしい先生だ。
そこで施術後リラックスしている間、かかっている曲が中国の民謡
の様だがちょっとモダンにアレンジされているらしく
でもそれがまた日本のニューミュージックを思い出させるったら。
ここで言うと”1980年から1985年(おおむね年代順)”もしくは”ニューミュージックと呼べるかどうか判断が難しい作品”の類と思う。
私の中で
この曲調=中学の頃のバスケットのコーチ丸井さんなのである。
この丸井コーチはバスケット部の顧問の畑中先生(女性)とタッグを組み
結果はベスト4入りで終わってしまったが、私達チームを東北大会まで連れて行ってくださったお方だ。
心・技・体でいうと
丸井コーチは飴とムチをうまく使い私達の技と身体を、畑中先生はスポーツを通してどんな困難にも打ち勝てる強い心を鍛えてくださったと思っている。
入部してすぐは筋力トレーニングの毎日、で全身筋肉痛
そしてコートの隅にあった補助ゴールで基礎練習
そこでコーチにいいと言われたもの(まぁ上手な子からと言う事ね)だけが、本コートで先輩達との練習に加われるという厳しい競争だった。
まだ本コートでの練習に入れないものは補助ゴールの練習が終わったら
本コートでの練習をずーっとつま先立ちで ”ナイス”、”ドンマイ”、”ガンバ”と大声で応援する。
その他の行動はもちろん全てダッシュ、おしゃべりはあり得ない。
練習が終わる頃はくたくただったのを覚えている、でもやめたいと思わなかった。
そして昼休みは体育館でボール磨き、皮のボールだから指の脇を使って水まめができるまで磨く。
お盆とお正月以外はほとんど練習、練習は夜遅くまで続き、帰宅してご飯を食べると文字通りバタンキューだったものだ。
”ミーティング”と称した一つ上の先輩達からの洗礼
それはまず
”正座して目をつぶって”で始まる"
その間、先輩達から私達の普段の生活態度から練習態度などありとあらゆる面からたまには名指しで一人一人ちくちく注意されて行く
*廊下で会ったとき礼をしなかった(廊下で会ったら先輩には必ず一礼する決まり)
*目つきが悪い
*お疲れさまでしたの言い方が感じ悪い
*陰で先輩達の悪口を言っていると噂で聞いた
などなど
いつも30分から1時間、終わる頃には足がしびれたよりも緊張感でぐったりしたものだった。
今思えばかわいいものだけど、私達もピュアだったのね~
そのしきたり(目をつぶって正座でちくちく)もあまりいいものじゃないと私達が先輩と呼ばれ始めた頃から廃止し、
普通のミーティングでチームの問題点を話し合った。
話がそれたな
その丸井コーチ、自分にも奥さんと二人のまだ小さな息子がいながら
盆お正月以外、ほとんど自分の大学の仕事後に私達の練習に顔を出す。
多分無給だったと思う。これが原因でどんだけ夫婦喧嘩した事だろう。大きなお世話か
たまに休んだりもしたが、それでも私達はさぼらず練習に励んだ(その時は畑中先生の目が光っていたしね)。
その丸井コーチ、バスケ以外にバドミントンも堪能なお方で(サッカーもやると聞いたっけ)
手首のスナップがすごく強い
んでもって私達へのパニッシュ用に持って来たのが、”ラケットのヘッドなし”
その細い部分を持って、ミスったり態度が悪いとグリップの方で私らのけつをびしっ
こりゃ効くってもんっすよ コーチ
今なら大問題でっせ
それでも、試合が終わって反省会の時などは
リクエストするとよく十八番の ”サチコ・ニックニューサ”を歌ってくれたものだ。(若い人は知らないだろうなぁ)
丸井コーチのハスキーな声とその曲がとってもマッチしていて、
でもそれ以上にコート上で見るコーチとのギャップを私達は楽しんでいたのかもしれない。
1度恥ずかしいからと言ってサングラスをかけて無伴奏で歌ってくれた事がある、あの時は感動したっけなぁ。
私達は丸井コーチが大好きだった、だからどんなに辛い練習もついて行けたんだろうな。
信じてたもの、この人について行けば大丈夫って。(でもその東北大会の準決勝の前夜、事件が起こるんだけどね、それはまた今度)
いくら自分がバスケットボールが大好きでも、ここまで時間を費やすだろうか。
相当なバスケット馬鹿か、コーチもチームの事が大好きだったんだろうな、今思えば。
いくら感謝しても足りないくらい、いい経験させてもらいました、コーチ。
本当にありがとうございました。
やっと話がつながったか。
そう、この鍼の時にかかるCDはいつも私にこの丸井コーチの歌う”サチコ”を思い出させるのだ。
そしてそこからその頃の事が走馬灯の様に頭の中によみがえるんだな。
またいつか聞きたいな
丸井コーチの”サチコ”
週に一度はできるだけ”はり”に行く様にしている。
特に効いてるのか、効いてないのかはわからないけど(もともと不調な所は特にないので変化が見れないのだ)。
ハリをうってくれるのは中国人の女性の先生、とても穏やかなかわいらしい先生だ。
そこで施術後リラックスしている間、かかっている曲が中国の民謡
の様だがちょっとモダンにアレンジされているらしく
でもそれがまた日本のニューミュージックを思い出させるったら。
ここで言うと”1980年から1985年(おおむね年代順)”もしくは”ニューミュージックと呼べるかどうか判断が難しい作品”の類と思う。
私の中で
この曲調=中学の頃のバスケットのコーチ丸井さんなのである。
この丸井コーチはバスケット部の顧問の畑中先生(女性)とタッグを組み
結果はベスト4入りで終わってしまったが、私達チームを東北大会まで連れて行ってくださったお方だ。
心・技・体でいうと
丸井コーチは飴とムチをうまく使い私達の技と身体を、畑中先生はスポーツを通してどんな困難にも打ち勝てる強い心を鍛えてくださったと思っている。
入部してすぐは筋力トレーニングの毎日、で全身筋肉痛
そしてコートの隅にあった補助ゴールで基礎練習
そこでコーチにいいと言われたもの(まぁ上手な子からと言う事ね)だけが、本コートで先輩達との練習に加われるという厳しい競争だった。
まだ本コートでの練習に入れないものは補助ゴールの練習が終わったら
本コートでの練習をずーっとつま先立ちで ”ナイス”、”ドンマイ”、”ガンバ”と大声で応援する。
その他の行動はもちろん全てダッシュ、おしゃべりはあり得ない。
練習が終わる頃はくたくただったのを覚えている、でもやめたいと思わなかった。
そして昼休みは体育館でボール磨き、皮のボールだから指の脇を使って水まめができるまで磨く。
お盆とお正月以外はほとんど練習、練習は夜遅くまで続き、帰宅してご飯を食べると文字通りバタンキューだったものだ。
”ミーティング”と称した一つ上の先輩達からの洗礼
それはまず
”正座して目をつぶって”で始まる"
その間、先輩達から私達の普段の生活態度から練習態度などありとあらゆる面からたまには名指しで一人一人ちくちく注意されて行く
*廊下で会ったとき礼をしなかった(廊下で会ったら先輩には必ず一礼する決まり)
*目つきが悪い
*お疲れさまでしたの言い方が感じ悪い
*陰で先輩達の悪口を言っていると噂で聞いた
などなど
いつも30分から1時間、終わる頃には足がしびれたよりも緊張感でぐったりしたものだった。
今思えばかわいいものだけど、私達もピュアだったのね~
そのしきたり(目をつぶって正座でちくちく)もあまりいいものじゃないと私達が先輩と呼ばれ始めた頃から廃止し、
普通のミーティングでチームの問題点を話し合った。
話がそれたな
その丸井コーチ、自分にも奥さんと二人のまだ小さな息子がいながら
盆お正月以外、ほとんど自分の大学の仕事後に私達の練習に顔を出す。
多分無給だったと思う。これが原因でどんだけ夫婦喧嘩した事だろう。大きなお世話か
たまに休んだりもしたが、それでも私達はさぼらず練習に励んだ(その時は畑中先生の目が光っていたしね)。
その丸井コーチ、バスケ以外にバドミントンも堪能なお方で(サッカーもやると聞いたっけ)
手首のスナップがすごく強い
んでもって私達へのパニッシュ用に持って来たのが、”ラケットのヘッドなし”
その細い部分を持って、ミスったり態度が悪いとグリップの方で私らのけつをびしっ
こりゃ効くってもんっすよ コーチ
今なら大問題でっせ
それでも、試合が終わって反省会の時などは
リクエストするとよく十八番の ”サチコ・ニックニューサ”を歌ってくれたものだ。(若い人は知らないだろうなぁ)
丸井コーチのハスキーな声とその曲がとってもマッチしていて、
でもそれ以上にコート上で見るコーチとのギャップを私達は楽しんでいたのかもしれない。
1度恥ずかしいからと言ってサングラスをかけて無伴奏で歌ってくれた事がある、あの時は感動したっけなぁ。
私達は丸井コーチが大好きだった、だからどんなに辛い練習もついて行けたんだろうな。
信じてたもの、この人について行けば大丈夫って。(でもその東北大会の準決勝の前夜、事件が起こるんだけどね、それはまた今度)
いくら自分がバスケットボールが大好きでも、ここまで時間を費やすだろうか。
相当なバスケット馬鹿か、コーチもチームの事が大好きだったんだろうな、今思えば。
いくら感謝しても足りないくらい、いい経験させてもらいました、コーチ。
本当にありがとうございました。
やっと話がつながったか。
そう、この鍼の時にかかるCDはいつも私にこの丸井コーチの歌う”サチコ”を思い出させるのだ。
そしてそこからその頃の事が走馬灯の様に頭の中によみがえるんだな。
またいつか聞きたいな
丸井コーチの”サチコ”
何があったんだろう?
クラブ活動もない高校生活だったので(そもそもクラブがなかった!)想像もつかない。
途中まで書いてやめるなんて、気になるわぁ(笑)
もう
ありがとうございます。
事件と言っても次の日に大舞台を控えた
コーチと私達メンバーの心がちょっとすれ違ったとでも言うのかな?
また鍼に言ってあの曲を聴いたらもっと思い出せるかも。
あの30分の間って意外とセラピーだったりして
mamaさんは放課後デートで忙しかったでしょ、きっと?
バレー部は・・・宝塚+レディースでした。
信頼関係で厳しい練習もガツガツ食いつけるんだろうね。ピュアだね~。わたしは今のバレークラブでそれをちょっと齧ってますが。
しかし、続き気になります!
たしかにバレー部は”ながちゃん”とかいて迫力あったなぁ
宝塚+レディース 確かに。。。。
でも練習は真面目にしてたよね、お互い。
おふみは今でもバレーを続けてて、すごいなーって感心する。
汗かくって気持ちいいもんだよね(遠い目)
高校時代の友達が怪我しながら今でもバスケット続けてるって聞いて
すっげーって思った、できるんだな、本当に好きならってさ。
おふみも頑張って続けてね
若い頃これを通り過ぎてきたNさまならなんでもがんばり通せるわね!
鍼しながら中華音楽かぁ。。。うちはクラシックよん!でもほんとに痛いときは音楽が途切れることに気がついた。耳になんかはいってこないっ!
結構、さすときドキドキしてうっすら汗かいてます
その後に中華系ミュージック
クラシックがいいなぁ
ところで上の住人
半分消えたようですね むふふ
http://blog.livedoor.jp/actonian/archives/51232544.html#comments
Rがこの”むふふ””は”うふーん”と違うのかと聞いてました笑
ゴールデンハーフのCDを持っているRって。。。
それと停電は無事すんだようでよかったですね~。
今日は久しぶりの快晴
いいお天気でしたね~
8月はずっとってたから、嬉かったわ
もうちょっとこの青い空続いてほしいな
って明日の天気予報見たらうっそー