ありきたりのシアワセ UK

little things in Britain

長崎原爆の日

2006年08月07日 06時03分39秒 | things
広島の原爆はリトル・ボーイと呼ばれましたが、長崎の原爆はファット・マン
と呼ばれます。広島の原爆はウラン爆弾でしたがこちらはプルトニウム爆弾で、
広島より強力、TNT火薬21000トン分の威力とされます。しかし平地の広島
に比べて谷間の長崎は、地形が原爆の被害の拡大を防ぎました。それでもこの
原爆で数ヶ月以内に7万人が亡くなり、その後亡くなった人を入れると、やは
り15万人ほどの人が命を落としたとされます。長崎にしても広島にしても、
役所の記録が失われた上に、朝鮮などから徴用されて働きに来ていた人の数や
一時的に疎開してきていた人などの数は分からないものが多く、本当の被害者
数というのは永遠に不明のままでしょう。

広島に原爆を落とした飛行機はエノラ・ゲイですが、長崎に原爆を落としたの
はボックス・カーというB29です。エノラ・ゲイと同様早朝テニアン島を出
発し、当初第一目標の小倉上空に達しますが、天候が悪かったため投下を断念、
目標を急遽第二目標の長崎に変更しました。そして長崎でも市の中心部には投
下できず、少し北部の浦上地区、松山町上空9600mから投下。高度500mで炸裂
した原爆はわずか0.2秒後には半径200mもの火球を作ります。この火球の表面
温度は太陽の表面温度並の8000度にも達しました。

この火球のエネルギーはその大半が爆風となって長崎市を壊滅します。私の中
学の時の数学の先生などは当時学校で授業を受けていて、たまたま柱の影の席
に座っていたため助かりました。突然凄い音と強い風が飛び込んできて、何が
起こったのか分からなかったといいます。その教室で授業を受けていたクラス
メートは大半が即死しています。

広島でもそうですが、長崎でもみんな、すぐそばを爆撃でやられたのだと思っ
たようです。ところが、どうもすごく広い範囲がやられているので驚きます。
そして、数日後今度は「今度の爆弾は直接やられてなくても、爆破された跡を
歩いただけでもやられてしまうらしい」という噂が立ちます。むろん、その時
には既にそのようなことを知らない近所の町の人たちからなる大勢の救援隊が
強い放射能の残る焼け跡を歩き回っていました。彼らもまた放射能障害によっ
て命を落とすことになります。

広島の原爆投下を招いたのはポツダム宣言に対する日本政府のコメント「黙殺」
という微妙な言い回しが、英訳された時に「ignore」と訳されてしまったこと
が原因であるといわれます。「黙殺」と「無視」ではやはり違います。「黙殺」
というのは、今コメントはできないが深く受け止めているということを表しま
す。「無視」では全然気にしてないことになります。気にしないというのなら
体で分からせてやろうではないか、ということになるのは目に見えていました。
一方、長崎の原爆投下を招いたのは日本政府の優柔不断でしょう。この時点で
降伏する方針はもう固まっていたものの国体維持の条件をつけるべきかどうか
でもめていました。その会議をやっている最中にこの原爆は投下されています。
会議は半々に分かれ、本来制度上政治に口を出すことのできない天皇に敢えて
意見を求めます。昭和天皇はむろん無条件降伏すべきだとの意見。その方針が
アメリカに通知され、ようやく戦争は終結に向かいました。またここでゴチャ
ゴチャやっている間にちゃっかりソ連が不可侵条約を破棄して日本に宣戦布告。
わずか一週間しか戦っていないのにどさくさにまぎれてごっそり領土をぶんど
って行きました。

この文章はここから抜粋しました。

今でも世界のあちこちで戦争が行われ、たくさんの人々が犠牲になり、
ミサイルを練習と正当化し、テロに怯えないように普通の生活をと 頑張らなければいけないこの世の中。

過去の失敗をいかせず同じ過ちをくり返す愚かな私たち
ごめんなさい この原爆の犠牲になったたくさんの人々に。
私たちは同じ失敗をくり返そうとしています。



この戦争で亡くなった全ての人たちのご冥福を心からお祈り申し上げます。

菜穂子



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8 コメント

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Unknown (フミネコ)
2006-08-08 18:36:32
5年日本を離れた後の、久しぶりの日本での8月。

今年の原爆関連で目を奪った記事に、二重被爆があります。広島・長崎の両方で被爆し、今その体験を語りだした人がいます。ありえない不運に見舞われしそして生かされた彼の人生って?

被爆者と結婚したアメリカ人もいます。

61年目の夏は、語り継ぐ生き証人が確実に減っていく事への危機感と、その危機感に突き動かされて、胸のうちに閉じ込めてきた悲しく苦しい体験を今やっと語らねばと動き出した人たちの姿があります。何十年後かには確実に体験者がいなくなってしまう厳しい現実があるのですね。



昨年、BBCで放送された原爆のドキュメンタリーを見ました。米軍関係者と被爆者のほぼ同量のインタビュー、そして再現ドラマで構成されており、日本以外で制作された物で、視聴者に、原爆が早期終戦を可能にしたという原爆正当論に対してあれほど疑問を抱かせたのは驚きだった。WWⅡにおけるイギリス人の日本人に対する感情は決して穏やかではない。近隣国で戦後謝罪を表明しつづけているドイツに比べ、日本からははっきりいって明確なメッセージは未だ伝わってこないよ、と英国人教師に言われた事が記憶に新しい。それでも尚、イギリスでこうしたドキュメンタリーが作られ、BBCの番組に対する掲示板でもイギリス人からの反原爆への意見が大多数を占めたことに、改めてこの惨劇の無意味さを思った。他の多くの命を救うための原爆投下?これはどうにも正当化できない。放送翌日の職場でもかなりの人が見ていた事がわかった。そして誰もが史実のむごさに胸をいため、偏りのない作りに感心していた。



また、当時日本でも同じ爆弾開発が密かに行われていたという記事もある。戦争は人間が最も取り返しのつかない愚行を引き起こす悲しい行為だと思う。



長くなっちゃったけど、忘れちゃいけない思いはあるからね。



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to フミネコ (naoko)
2006-08-09 08:06:15
私もそのbbc見たはず

いつもと違う角度からあの原爆をとらえられて

あのドキュメンタリーが公平な作りに感心したのを覚えている。



毎年、日本から遠く離れたこの国で、原爆の重みをあいこちの文章で感じ

被害者の痛みを思い涙し、しかし何もできないという現実を思い知り

肩を落とすという、

でもこうして語り継ぐ事はできる

決して忘れてはいけないと思う



Rは戦争大反対派ではないと言い

そこで討論にいつもなる



どうして話し合いで解決ができないのか という自分がとても

子供っぽくも感じられるが、理想を語っていいではないか。



戦争は人間の行為の中で最も愚かで悲しい行為だと思う。



人間はどうしてこうも愚かなのか。

ばかものです



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そうよ人間てエゴの強い愚か者です。 (momo)
2006-08-09 08:47:21
世界報道写真展で見た物がずーっと頭に残っています。なのに毎日レバノンやイスラエルのニュースを見るとどうして、どうして?と悲しいです。それと話がそれるけど、ダイアモンドに対する見方も変わりました。

コンゴとか豊富な物資を持つのに貧しい国で、毎日子供が家族のために危険な鉱山でダイヤを探す仕事をし、命に関わる仕事の代償が400円くらいで1日をやっと乗り越えられる金額。。そしてそういった子供の隣に飾ってあった写真はNYのティファニーで買い漁る人々。

世界平和とかみんなが幸せとか理想主義で終わらないよう何かをしたい。。。
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Unknown (フミネコ)
2006-08-09 11:20:49
テロなんかをニアミスで体験したり、歴史渦巻くコスモポリタンな環境で生きていけば、自分の生活環境が脅かされ犯されたときに、黙っていられず立ち上がる気持ちもわからなくもない。だけどその後に必ずやってくる傷跡の事は、私たちは十二分に知ってるし、そこにもっと焦点を合わせてもいいんじゃないかと思う。

だから、7/7のあと、暴力ではなくwe are not afraidと言ったLondonerに感嘆したし静かな、でもものすごく大きな勇気をもらった。果たして日本人に今あの行動がとれるだろうか?あのあとNo26のバスで、Kingsland Road付近で爆破騒ぎがあったとき、互いに疑心暗鬼でおびえる様々の肌の色人たちで帰り道のイズリントンは混乱していた。普段バスを乗りなれない人たちも他人を信じられなくなって道順さえ聞けない。だから、私は道案内をかってでた。笑顔でDon't worry. You can get home.という言葉を繰り返しながら。そしたら車内に伝染して、臨時バスマップを持った人たちが、持ってない人たちに渡し始めて、緊張感が解け始めた。みな怖かったんだと思う、私も含めて。でもね、足元すくわれるよといわれようと、目の前の人間を信じなければ、人命を守ろうと必死で猛暑の中バスを運転するドライバーやpolice officerの真剣なまなざしが無駄になる。異国民の私を受け入れてくれているのあの国の懐の深さと歴史に敬意を表して。笑顔が伝染し始めたら、怒りと恐怖の矛先は肌色の違う個人ではなく、偏った思考とそれが生み出す愚行なのだという事を改めて感じた。

戦争全否定しない、としても例えば自分が銃を持って

戦地に赴く事armyのsoldierが本土戦になるまえに、

awayで戦ってくる、職業戦争のことを言ってるんじゃないかな?自分の家族を今すぐ戦地に差し出しますといえる

人が今どれだけいるのか疑問だもの。戦わずとも21世紀には、血を流さない解決策が生まれてもいいナと思っちゃう。How far have we come?
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訂正です。(他にもあったけど) (フミネコ)
2006-08-09 11:27:24
戦争全否定しない、としても例えば自分が銃を持って

戦地に赴く事じゃなく、armyのsoldierが本土戦になるまえに、…です。

長々とゴメンナサイ。

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to momo ふみねこ (naoko)
2006-08-09 18:29:33
私も正直あのテロの後、この根源は宗教にあり

とその宗教の人たちを敵視しそうになったり、そうされても

当たり前だ くらいに思いがちだったけど

それはまったく愚かな事で、関係のない彼らこそが犠牲者で肩身の狭思いをしていたのだ。確かにあの頃FinsburyParkのあたりでは

パニックになった人々が混雑してたし、あのモスクの辺りはいつも厳重にポリスマンによって警備されてていっそう殺伐としていたし。



悲しみ、怒り、恐れ、非日常の経験を目の当たりにしながら

日常生活をテロに屈せず と続けたロンドン市民の対応には目をみはるものがあったし、これが日本だったらと考えずにはいられなかった。日本は機能的対処は早いかもしれない、でも精神的にはどうかな、まずパニックになりメディア効果で更にパニックになり、次の話題になるニュースが来る頃にはまた忘れられていくのではないか。そこまで平和ボケしてないかもしれないけど。





文明も科学も多いに進んだこの21世紀に

殺し合いで血を流し

負けた方が勝った方の言う事を聞くんだぞーと

たしかに武器なんかは発達してるかもしれないけど

やってることは石器時代と変わらない。



血のない解決策。



人が人を裁くという事自体が難しいからね

人以外のものにそれを委ねられればいいのに。

それはかなり理想論と言うか私の夢見事だけど。









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Unknown (miki)
2006-08-09 20:03:10
まず、私も戦争は大反対。だって、何も良いことないでしょ。あるとしたら、戦争兵器を売っている人たちが儲かるだけかな?(それにしても儲ける代償が大きすぎる!大勢の命がかかっているのだし)

「戦争はいけない」「平和的解決を」と誰でも思うし当たり前だとも思うけど、立場が変わるとそんな当たり前の判断が出来なくなるのではと思います。「自分が国をしょっている」「自分が世界を動かしている」とか思う人たちには’国民’よりもまず’自分の場所確保’とか’今後の展開のためにも、あの国には勝っておきたい’とか個人的発想で戦争を始めちゃんじゃないかと思う。だから、「何千人の犠牲くらいで戦争が終われば良い」「原爆落として勝てれば良い」とかって言う発想になるのかな。

でもさ、「人」(国民)がいなきゃそこは「国」じゃないのにね。戦争したい人って何を守りたいのかしら?



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to miki (naoko)
2006-08-13 21:21:43
人の命を代償に得るものって、どれだけすごいものなんだろうと

思うけど、私利私欲にまみれたちっぽけなエゴ、プライドなんだろうなと思う。命より尊いものってないと信じているけど、そんな事もきれいごとなんだろうな、そういう人たちにとっては。



このコメント書いている間も

テロ未遂事件でかなり多くの人が被害にあっていて

でも未遂ですんだからよかったものの、もっとやるべき事があるのではないか、テロリストたちよ。彼らにとって、やるべきことがそれなのかもしれないけど、そんなの知るか!暴力で人を押さえつけるなんて、野蛮人、この21世紀、文明の時代に何をやってるんだー

そのエネルギーを、もっと人の為に役立てろ。

私いかっております
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