「お兄ちゃんの分までお世話をする」と言ってた娘。
指示する必要はなかった。
父のマッサージや話し相手、家事、買い物etc。。
痒い所に手が届く仕事をしてくれた
もっと幼いと思っていたのに。。
いつの間に。。
こんなに成長してくれたのか。。
この時から女同士として会話に深みが出たように思う。
とはいえ高校生。。一週間の滞在が限度。。
大好きな祖父母との会話を心に刻んでいるようだった。
両親にとっては宝物と言ってた孫達。
息子も時々電話で会話し、父とは男同士の話し。
母にはリラックスさせようと冗談で笑わせて。。
遠くにいても声を聞かせるという思いやり。
娘もそんな兄の思いを重ねるように頑張ってくれた。
いよいよ娘だけ帰宅する日。
最後に祖父との今生の別れを覚悟したハグ。。
祖母には労りと溢れる思いを込めた長いハグ。。
主人と息子、チビが待つ家へ
その後、妹も仕事を休んでやって来て、両親と妹。
昔のように四人で過ごすなんて。。
何年ぶりだったでしょう。。
泣き笑いしながら過ごし、
2005年の一月に父は旅立ちました
そこから先は怒涛の時間。。
気がついたら目の前に父の骨壺があり、
母と二人になっていた。。そんな感じ。。
そうやって母を支える為に仕事を辞めた私。
母が倒れないように、四十九日法要を過ぎても
「安心できる迄は世話しておいで」
という主人と子供達の協力があり、
数ヶ月鹿児島で二人で過ごすことに。
そこから。。。。。
仲の良い夫婦だったため、母の慟哭が顔を出し始めます。
凛と強い女性だと思っていたけれど、
父がいてこその強さだったんだ。。
ようやくチビとの信頼関係が構築し始め、
チビを撫でる楽しみや撫で場所で表情が変わる。
甘噛みという愛情表現。
爪も出さずに手に抱きついてくる可愛さ、
目の表情、尻尾で表す感情。。
その楽しみを味わい始めた頃に鹿児島へ飛んだ私
今迄見たことがないような母の理不尽な言動。。
疲れ、悲しみ、寂しさ、切なさ、喪失感。。
それを段々とぶつけてくるように。。
私が帰れば一人になる不安。。
もう様々な感情を処理しきれなかったんだろうなぁ。。
私も前年からの疲れ、心配、同じように喪失感。。
鹿児島にいれば家族を思い。。
胸に色んな思いが交差している。。
そこに、母からの理不尽とも思える言動。。
でも、今なら理解できる当たり所が私だけだった
そんな時に恋しかったのがチビの存在。
まだ数ヶ月なのに。。不思議だった。。
モフモフ感や全身で見せてくれる愛情。。
勿論家族も恋しかったけれど、
電話で声を聞かせてくれるし、メールもある。
それに、家族はそれぞれに打ち込む何かがあったから、
家を離れればそこに集中できる(自分も同じだったから。。)
でも、チビはチビ。。唯一無二の存在。
言葉でのやり取りがない分、
最初はケンカのようなこともあったけど、
触れ合ってると、何故だかふと理解できた
チビが何をして欲しいのかが。。
多分その要求が満たされた時、
チビの頭がカーッと熱くなり、ペロペロ舐める。
たまに娘が「チビが何やっても落ち着かない!」
って訴えてきた時に、
その都度、
チビと一緒にいた時にやっていた事を伝えると
「本当だぁ~!」と解決。
そんな時間も過ごしたからこそ、
娘とチビの絆も深かった。
言葉を交わせるのに人間同士は時に分かり合えない?
いや。。先ず、
自分を理解して!こうして!あーして!が先なのかも。。
動物が本当はどう思ってるかはわからないけれど、
距離感を最大限に大事にした上で、
無償の愛を注いでくれる。。心配してくれる。。
ただそこにいてくれる。。
だから、知らぬ間に深く、深く心に浸透し、
心地よい愛情に包まれ、癒されていく。
空気のように。。。
こうやって振り返ってみると、
こんなにも早くからチビに癒されてたんだなぁ。。
ただ残念なのは、そんな状況だったから、
一番可愛い仔猫時代のチビの姿が残ってない事。
ここから数年。。私にとっては苦しい期間だったけれど、
チビによって救われていたのかもしれない。
もう既にモフモフの虜になっていたんだな。。
あー余計にモフモフが恋しい。。
チビが恋しい。。
そして、支えてくれてたんだねチビ。。ありがとう
指示する必要はなかった。
父のマッサージや話し相手、家事、買い物etc。。
痒い所に手が届く仕事をしてくれた
もっと幼いと思っていたのに。。
いつの間に。。
こんなに成長してくれたのか。。
この時から女同士として会話に深みが出たように思う。
とはいえ高校生。。一週間の滞在が限度。。
大好きな祖父母との会話を心に刻んでいるようだった。
両親にとっては宝物と言ってた孫達。
息子も時々電話で会話し、父とは男同士の話し。
母にはリラックスさせようと冗談で笑わせて。。
遠くにいても声を聞かせるという思いやり。
娘もそんな兄の思いを重ねるように頑張ってくれた。
いよいよ娘だけ帰宅する日。
最後に祖父との今生の別れを覚悟したハグ。。
祖母には労りと溢れる思いを込めた長いハグ。。
主人と息子、チビが待つ家へ
その後、妹も仕事を休んでやって来て、両親と妹。
昔のように四人で過ごすなんて。。
何年ぶりだったでしょう。。
泣き笑いしながら過ごし、
2005年の一月に父は旅立ちました
そこから先は怒涛の時間。。
気がついたら目の前に父の骨壺があり、
母と二人になっていた。。そんな感じ。。
そうやって母を支える為に仕事を辞めた私。
母が倒れないように、四十九日法要を過ぎても
「安心できる迄は世話しておいで」
という主人と子供達の協力があり、
数ヶ月鹿児島で二人で過ごすことに。
そこから。。。。。
仲の良い夫婦だったため、母の慟哭が顔を出し始めます。
凛と強い女性だと思っていたけれど、
父がいてこその強さだったんだ。。
ようやくチビとの信頼関係が構築し始め、
チビを撫でる楽しみや撫で場所で表情が変わる。
甘噛みという愛情表現。
爪も出さずに手に抱きついてくる可愛さ、
目の表情、尻尾で表す感情。。
その楽しみを味わい始めた頃に鹿児島へ飛んだ私
今迄見たことがないような母の理不尽な言動。。
疲れ、悲しみ、寂しさ、切なさ、喪失感。。
それを段々とぶつけてくるように。。
私が帰れば一人になる不安。。
もう様々な感情を処理しきれなかったんだろうなぁ。。
私も前年からの疲れ、心配、同じように喪失感。。
鹿児島にいれば家族を思い。。
胸に色んな思いが交差している。。
そこに、母からの理不尽とも思える言動。。
でも、今なら理解できる当たり所が私だけだった
そんな時に恋しかったのがチビの存在。
まだ数ヶ月なのに。。不思議だった。。
モフモフ感や全身で見せてくれる愛情。。
勿論家族も恋しかったけれど、
電話で声を聞かせてくれるし、メールもある。
それに、家族はそれぞれに打ち込む何かがあったから、
家を離れればそこに集中できる(自分も同じだったから。。)
でも、チビはチビ。。唯一無二の存在。
言葉でのやり取りがない分、
最初はケンカのようなこともあったけど、
触れ合ってると、何故だかふと理解できた
チビが何をして欲しいのかが。。
多分その要求が満たされた時、
チビの頭がカーッと熱くなり、ペロペロ舐める。
たまに娘が「チビが何やっても落ち着かない!」
って訴えてきた時に、
その都度、
チビと一緒にいた時にやっていた事を伝えると
「本当だぁ~!」と解決。
そんな時間も過ごしたからこそ、
娘とチビの絆も深かった。
言葉を交わせるのに人間同士は時に分かり合えない?
いや。。先ず、
自分を理解して!こうして!あーして!が先なのかも。。
動物が本当はどう思ってるかはわからないけれど、
距離感を最大限に大事にした上で、
無償の愛を注いでくれる。。心配してくれる。。
ただそこにいてくれる。。
だから、知らぬ間に深く、深く心に浸透し、
心地よい愛情に包まれ、癒されていく。
空気のように。。。
こうやって振り返ってみると、
こんなにも早くからチビに癒されてたんだなぁ。。
ただ残念なのは、そんな状況だったから、
一番可愛い仔猫時代のチビの姿が残ってない事。
ここから数年。。私にとっては苦しい期間だったけれど、
チビによって救われていたのかもしれない。
もう既にモフモフの虜になっていたんだな。。
あー余計にモフモフが恋しい。。
チビが恋しい。。
そして、支えてくれてたんだねチビ。。ありがとう