「議会改革」「税金の無駄遣いを無くす」を政策信条にあげ、
最下位ながら当選した。
しかし、この政策信条は行政議会にとって片腹痛し、
住民のみなさんもそれほど意識の中には無かったと思われる。
その政策信条を掲げる事ができたのはUターン者であったからである事が大きい。
逆に言えば、村住民のままで居たら、
この社会に染まり善悪の判断もできないようになっていたかも知れない。
人生とは、その節々の選択如何で運命が決まる。
帰郷しなければ、また違った人生だった。
目の前に繰り広げられる環境が運命を左右していく。
どのように生きて行くか、与えられた環境の中で
真偽、善悪、美醜をどのように捉え選んでいくかが
人生を決めて行くのだと思う。
議会はまさに悪魔の跳梁跋扈する世界と感じた。
常に政策信条を遂行するための信念と勇気を意識し続けた。
このことを忘れてしまえば巧妙な仕掛けに
知らず知らずのうちに乗ってしまう危うさは常に感じた。
病院組合議員の指名も、
議員仲間への誘導が目的であると思われた。
私の中で村議会、病院組合議会の改革という課題を突きつけられたが、
返上するわけにはいかない。
勇気を試される日々、
出来れば逃げたい(笑)
どのように切り出そうか、、
病院組合に出席すると手当がつく、これは疑問であった。
村の議員としての役職なのだから、手当は村議員の報酬とするのは当然、これは二重の報酬になると、住民感覚で捉えれば、それが普通のことである。
この報酬のことは村議員からは聞かされていなかった。
この報酬で黙らせようとしたのだろう。
お金はトラップにうまく利用されるのであった。
このマネトラに引っかかる私ではない、
村議会との二重報酬、この疑問を呈することにした。
恐らく、組合議員の全員はまさかの提言に戸惑ったと思う。
しかし、敵もさるもの、、
村議会とは別の、時間外の報酬であること、
この事案は村議会の判断に委ねる、、という事であった。
かくして、この提言はこのような結果になったが、
政策信条を踏み行なったという事実の積み重ねとなった。
勇気を持つということは大変なことである。
この勇気があるかないか、実行できるか出来ないか、運命をも左右する。
神は見てあり、、この勇気を神は見ている、真偽を問われている。
この意識が私を後押しした。
議会は全国的に同じ形態で、定例議会が6、9、12、3月に行われ、
臨時議会が国からの事案専決のためにあり、
そのほか村独自の議案提出があったときに行われる。
議会会期はほぼ5日〜一週間、時には10日、
本議会の前に予算委員会が行われる。
最初は、予算委員会が政策を決めるもの、
本議会前に決定するものということを理解していなかった。
他の議員や役場職員の私への懐柔を警戒していたこともあり殆どを自分で確認した。
馴れ合いに染まれば、事実が見えなくなる。
本議会では議論はしない事実を知った。
本議会は議会議事録にスムーズに記録することが目的であった。傍聴者はセレモニーに参加させられているだけである。
時折、「議会を侮辱」とか「議会を混乱させた」とかいうのは
議事録の記録に混乱を起こしてしまう事で、
不都合な部分が記録されるのを避けたいのである。
そのためしばしば、議事録記録を止められる。
国会でも同じ、で議論しようととすることが混乱とみなされて行く。
このような事実を知って敵陣の中で孤軍奮闘の
戦いの火蓋は切って落とされたのであった。
2021 5/18