一昨日、『私の「切断」体験』の記事の中で紹介された映画「美しき緑の星」は、動画がUPされてもすぐ削除され、なかなか見れない状態になっていたようですが、ソレを知った「In Deep 」のokaさんが探し出してUPされています。
さすが、ネット社会!しかも、繋がるのが早い!「弥栄の会」さんと「In Deep」さんも繋がっていたようです。
せっかくなので、禁断の?「切断!映画」観てみましたが…、一言でいえば“スピ系サヨクなプロパガンダ映画”?と云いたくなるくらい、現代文明を否定し、原発や電子機器やお金のいらない社会こそが、進化した理想社会と謳いあげた映画でした。(「自然に還れ」のルソーが現代に蘇って映画を作れば、多分こうなる」と思いました)
「原発」反対だった若かりし頃の自分なら、大いに共感しただろうと思いましたが、今は「フランス人が作った“小うるさい”映画としか思えませんでした。(やすひろさんの身に起こった「切断」体験の方がよっぽど感動的で、映画化すれば、この映画より、よっぽど美しく感動的な映画になると確信します。歓楽街を軽やかにスキップする男の後ろを、ゲイの男たちが楽しそうについていくシーンなど、美しい絵として目に浮かびます。)
我ながら、変われば変わったもんです。
人は変わるのです。いずれどこかで“前後裁断”して世界の素晴らしさに目覚める日がきたとしても、世界の見え方が変わるだけで、世界が突然変わるわけではないのです。世界は少しづづしか、変わりませんが、すべての人が変われば、世界は完全に変わります。
人も人類も、いつまで経っても“進化の途上”にいるのでしょう。
今、目の前にある困難は乗り越える為にあって、否定して昔に逆戻りする道は用意されていないと思った方が建設的な気がします。
勝手に「フランス人の感性より、日本人の感性の方が上だ」等と、ヘンな対抗意識を燃えあがらせて観てしまいました(笑)が、まだ観ていない方は、ぜひ御覧下さい!
日仏の「切断」物語をとくと見比べて、ご判断頂きたいものです。
私たちの地球は「混乱の前の復興時代」に突入できるか。それとも、映画『美しき緑の星』は単なる夢物語なのか
▲ 映画『美しき緑の星』より。耳に手を当てているのは、通信テクノロジー。およそ時間空間の関係なくコミュニケーションをとることができます。
本来目指すべき社会が描かれているフランス映画
今週末( 5月16日)、ヤスの備忘録のヤスさんとのジョイント講演会があり、その打ち合わせというか、ご挨拶というかで、先日、ヤスさんとお会いしました。
最近、ヤスさんはあまりブログのほうは更新されていないのですが、最近、記事を見させていただいた時に、1996年のフランス映画『美しき緑の星』への動画リンクが貼られていました。
私の知らない映画で、見てみようかと貼られているリンクをクリックしますと、リンク先は Vimeo という動画サイトですが、「ページが見つかりません」というページが表示されました。
つまり、動画は削除されていました。
ヤスさんは、ブログにすぐに別のリンクを貼りましたが、それもまた私が行った時には、すでに削除されていました。
ハリウッド映画とかならまだしも、誰も知らないような 20年ほど前のフランス映画に対しての、この速効削除ぶりは何だか奇妙だなあ、と思い、ちょっと調べてみますと、ここの『美しき緑の星』は下のような映画ということのようです。
現在、この『美しき緑の星』の日本語字幕版がアップされている中のひとつ、ニコニコ動画の説明をお借りします。
美しき緑の星~人々に大きな目覚めを促すフランス映画~
誰もが協調のうちに暮らし、みんなが幸福で互いに助け合い、何でも分かち合い、お金の必要がなく、自然と共に暮らす世界があったとしたら……。
「美しき緑の星」は他に類を見ないフランス映画です。メディア経営者らの手によってEU内では事実上の発禁状態にあるのです。
マイナーなチャンネルで深夜に放送されたことが2回ほどあるのを除けば、1996年以来テレビで放映されたことはありません。これは世界中の人々に大きな目覚めを呼び起こす映画です。昔から本当のことを隠しておくのは難しいものですが、ちょうどそんなふうに、みなさんも本当のことを知るに至ったというわけです。
何だか大変なことになっている映画らしいのですが、そうなりますと、やはり見てみたくもなりまして、上のニコニコ動画は、画質が高くないですので、いろいろ探しましたら、
・美しき緑の星【日本語字幕】 - FC2 動画
にありました。
あと、こちらのサイトのページの一番下から、ダウンロードもできることがわかりました。
それでまあ、見てみたんですけれど、作品として面白いか面白くないかは好みの問題でしょうですけれど、なるほど、私もまた夢想することのある「理想的な社会」が、確かにそこには描かれています。
その星の社会は、
・貨幣はない
・身分制度はない
・日常で行うことは、食事、農作、そして洗濯と運動(運動の比率がとても高い)
・政治は地域全体での合議制。代表者はいない
・食事は、完全な菜食(生で食べる)
・火はあまり使わない
・家電、化学物質、たばこ、酒、医薬品、原子力、自動車などはない
・武器はない
・住居や建物はない
・自然に立脚した高度なテクノロジーを持つ
・子どもたちは高度な教育を受けている(建物がないので草原で)
・音楽はない
・みんなが「天か宇宙の声」みたいなのを聴いている
というような社会です。
「住居がない」というのと、「音楽がない」というのは、ひっかかる部分もあるのですが、音楽に関しては、
「音楽は、かつてあったけれど、今はない」
ということで、今のその星の人々は、聞かなくても聞こえる(?)というような体質であるようです。
ちなみに、映画の中では、星の女性が、レコード屋で「バッハ」のポスターを見て、
「これは、私たちの星から地球に来た人だわ」
とか、イエス・キリストが十字架にかけられている像を見て、
「イエスは地球で殺されてしまったの!?」
と言うシーンなどもあり、その星からは、たくさんの人々が地球にやってきていたようです。
ストーリーとしては、上の説明にありますように、
協調のうちに暮らし、互いに助け合い、何でも分かち合い、お金の必要がなく、自然と極端なほどに協調して暮らす社会が成立している惑星
から、地球を訪問した女性たちの、地球での体験と、それに伴う様々な出来事が描かれます。
地球の環境や食品の汚染のすさまじさや、貨幣制度などに驚きながらも、むしろ楽しい方向で、いろいろな騒動を起こしていきます。
実際、深刻な映画ではなく、コメディというか、ドタバタ・エンターティメント的な要素も強く、純粋な娯楽映画で、モンティ・パイソンが好きな私にはとっつきやすい映画でもありました。
特に、この星の人たちが持つ「切断プログラム」というものは、人をして、瞬時にして「人を愛と科感謝に生きる人に変える力」があり、これを受けた地球人は、
「突如として愛と感謝に目覚めてしまう」
のです。
例えば下の男の人のように。
「切断」されたこの紳士は、口から出る言葉が「メルシー(ありがとう)」と、「パードン(ごめんなさい)」だけになってしまっています。
これが地球に、さまざまな混乱をもたらすのですね。
まあ、いずれにしても、先ほどの説明に書かれているような、
> EU内では事実上の発禁状態にある
というような深刻な作品には思えません。
実際、フランス国内では DVD も発売されているようで、フランス Amazon で販売されていました。
ただ、映画の中に1カ所だけ、「未来の地球」に関してについての話をする中で、つまり、これからの地球が「どのような過程を経て未来に向かうか」を話すシーンがあり、その部分に、「嫌悪感を抱くエリートの人たちがいるかもしれない」とは思いました。
地球復興前の混乱期
星の人たちは、パラレル・ユニヴァースとおぼしき宇宙から来ているようで、地球から見れば「未来」から来ているために、その星で考古学を学んでいる若者は、地球の歴史を知っているのです。
地球の人に、星の若者たちは、以下のような話をします。
星の人1「工業時代の後は、大裁判になる」
地球の人「大裁判?」
星の人1「有害物を製造した人たち全員に有罪の判決が下されるんだ」
地球の人「誰に下される?」
星の人1「食品、化学物質、武器、たばこ、酒、医薬品、原子力、自動車、建築などの業者と、それで蓄財した政治家たち」
地球の人「まさか」
星の人1「不買運動が始まった」
地球の人「不買?」
星の人1「有害物を買わないようにしたんだ。軍隊も警察も手が出せなかった」
星の人2「時代の名前は?」
星の人1「ええと・・・復興前の混乱期」
地球の人「復興するんだ」
星の人1「もちろん」
この内容なんですけど・・・ニュアンスとして、かなり近いことが、7年前のウェブボットに書かれていたのを思い出します。
ウェブボットでは、2008年のレポートで「アメリカ第2革命」が起きるとして、次のように記されています。
ウェブボット 2008年10月4日の ALTA レポートより
・ 影の支配勢力の秘密の暴露は、彼らや影の政府の何世代にもわたる秘密の暴露に道を開く。アメリカ第2革命が進むにつれ、過去の革命にはつきものの「再教育施設」のような施設がアメリカ国内に多数作られる。
・ だがこうした施設は拷問が行われる収容所のような施設ではない。そこではかつての支配エリートのショーとしての裁判が行われ、彼らの行ってきた犯罪が白日の下にさらけ出されるが、拷問が行われるわけではない。また、こうした施設には彼らの犯罪を記録したビデオを撮るための施設が隣接することが多い。市民がそうした施設に行くと見ることができるように、彼らの犯罪は展示される。
・ 再教育施設での再教育が不可能と判断されたり、また犯罪の内容があまりに残虐な支配エリートは処刑される。処刑は相次ぐがその数は思ったほどではないはずだ。むしろ行方不明になる支配エリートの数の方が圧倒的に多い。いずれにせよアメリカ第2革命の波は 2009 年の年末から 2010 年にかけて発生する。
まあ、もちろん、2009年にも 2010年にも、アメリカ第2革命というようなものは起きなかったわけですが、
> かつての支配エリートのショーとしての裁判が行われ、彼らの行ってきた犯罪が白日の下にさらけ出される
というのは、映画『美しき緑の森』の中の、
「有害物を製造した人たち全員に有罪の判決が下されるんだ」
という下りを思い出させるものです。
私たちが理想的な社会を体験することはできる?
そもそも、このウェブボットの「理想郷」としているのは、この映画に出て来る星の社会のようなものであるともといえて、たとえば、ウェブボットでは、上のような「革命」を経た後、どのような社会になっていくかというと、
・自給自足共同体
・女性が中心となる社会
・既存の社会にはない新しいエネルギーとテクノロジーを使う社会
だとしていました。
ウェブボット 2009年9月15日の ALTA レポートより
・ 2010年の半ばからは「飛び地の文明」の名で呼ばれる新しい領域が急速に拡大する。これはわれわれが SOC と呼ぶ自給自足共同体が複数集合したものである。これは、経済的な困難が加速し、困窮した人々が既存の社会システムを見限って形成した新しい社会領域である。
・ この「飛び地の文明」にも女性を中心とした共同体が多数出現する。
・ また「飛び地の文明」はヒッピー2.0と呼ばれることもあるが、内実はあまりヒッピーとは似ていない。「飛び地の文明」は、自主的に開発した新技術や禁止された科学に基づいたテクノロジーなどを駆使する高度なテクノロジー集団の集合体なのである。
これに関しても、どれもこれもその年には起きていないですので、未来予測としては「完全なハズレ」なんですが、「理想の方向」として、映画『美しき緑の森』の星の社会と通じるものがあります。
まあ、私なども 2009年頃は、まだ「未来の希望」の方が強かったんですけどね。
なんだかんだと、「そんなことはひとつも起きなかった」と。
しかし、最近は思うんですよ。
このように、何も「起きなかった」というような他力本願的な考え方では、いつまでも「何も起きない」とも思います。
やっぱり、自分自身のためだけにでもいいので、「自分で何かしてみる」ということが大切だという気が最近はします・・・けれど、具体的にはどうしていいのかよくわからない・・・というような。
それにしても、さきほど無意識に「他力本願」と、悪い意味で使いましたけれど、その意味でいいのかな、と、ふと思い、調べて見ると、「他力本願」の本当の意味は、1から分かる親鸞聖人というサイトによれば、このようなものでした。
仏教で他力とはどんな意味なのか。親鸞聖人は、「『他力』と言うは如来の本願力なり」(教行信証)と明示されています。如来とは、阿弥陀如来のことですから、阿弥陀如来の本願力のみを他力というのです。
つまり、「他力本願」というのは、「神/宇宙/自然の法則」に従うという意味なんですかねえ。
いずれにしても、私は、この映画を見て、
「やっぱり、自分も何か未来に対してしないとなあ」
と、再び思えたという部分もありまして、こういうのもひとつの「自然の流れ」だとすれば、私はそれに従えばいいのかなとも思います。
何だか、映画『美しき緑の森』の話だけで終わってしまいましたが、「ここまでの歴史では、地球はあまり良くない方向に進んできて、さらに良くない方向に進んでいるのかもしれない」ことも、また気づかせてくれる映画です。そして、もしかしたら、私たちが良い方向に行けることができる可能性もないわけではないかもしれないことも教えてくれたような気がします。
なぜなら、この映画を見て「感動した」のなら、見た人の心の中の理想と、この映画の理想が共鳴したわけですから、私たちの中にある「理想に近づきたい」という意志が表面に出てきたかもしれないと思うからです。
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