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先週、日本の友人からSkype通話があり、一時間以上盛り上がりました。会話の途中で、「マイクが変わったのか?」というから
「従来通り」と返答、どうやらこちらが話す音声が明朗に聞こえるらしい。。
何のことはない、この数週間の外出規制から、自宅でカラオケを1~2時間やっている(本来なら「唄っている」と表記すべきこと)ことで、発声にハリがでてようです。
実は、台湾に居住するようになってから、日本語の会話をする機会が激変しました。
公園でブツブツ日本で一人話していれば、「変な日本人」に見られるのは確実だし、自宅で朗読することで発生練習、自分にしてみれば、まさにボイストレーニングで、「自主ボイトレ」にもトライしてみましたが、数分後にはアホらしくなりそこで中断でした。
ナニもしないでいる時、独り言はできても、自分の意思で、状況や相手に即応して発声すべき論理だった構成の日本語を組み立てる機能が、完全に劣化していることに気が付き、解決法を長い間、模索していました。
その結論が、カラオケ。
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浅草時代は、「マイクハナサーズ」には程遠いデスが、行きつけの店には、大学ノートが一冊置いてあり、開いた左右のページが客の各人のページで、各人のページの各行に持ち歌とコードが手書きされている、ようは、店側の省力化と効率化で始めたことのことです。
それでもアホな下町の客は、ページを持つことが一種のステータスのような気分になり、その気になってせっせと通うようになる。
あのママ、kazanと同級年ながら、頭がイイ(笑)
▼▼▼ここで余談
伝統的に吉原遊廓の風情が漂ってきそうな観音裏の花街のある三丁目の夜の世界では、店側も、来店する客の行動を本能的にDNAにインプットされているのが地元っ子の強みなのか、そこまで読み込まれた客の方は、その気になり、「旦那顔」して通い詰めるという構図が出来上がっていたことは確実。
話芸で言う「間」に該当するのでしょうか?
カラオケの歌詞字幕の色が変わる冒頭の間に、極めて短時間「ん」とい「飲み」を入れると、カラオケなら歌う側にはタイミングがつかみやすくなります。
微妙な発声の遅れは、アルコールモード中の狭い空間でのソコソコのオーディオ環境では、聞く側にほとんど悟られないという芸を学習したのも浅草の安スナックでした。
ただし、これは某局の「のど自慢」と生演奏環境では、通用しませ〜ん。
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そんな訳で、「一人カラオケ」なるものにトライしたら、結構ストレスの発散にもなり、10曲も歌えば、結構なカロリー燃焼あるようで、その後の食事が美味しく感じるほど。
これを数日続けたら、それまで、何かを言おうとするとき、一瞬ためらうなアクションが激減してることをデス。
学生時代、ある部活での部室では、常に先輩や後輩、あるいは同期と会話の中に、ある種の「トンチ」「ツッコミ」「返し」を混入する風土ができており、如何にタイムリーにそれをこなせるかは各人の甲斐性という世界でした。
一人カラオケでは、ある種の緊張感の中で、音を拾い、歌詞を追い、それを発声、歌にする訳ですから、かなり脳内の運動、判断機能を刺激するのは確実です。
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毎日、昼食後、1時間から2時間ほど、窓を締め切り、エアコンをガンガンで自主ボイトレに励むと、数日で効果を実感できたことは、友人とのskye通話で実証済です(^^)
段々と「歯切れ」「歌詞の冒頭」「歌詞行の終わり」などの当然注意がいくので思考回路での立体的複層的で瞬発的判断力が醸成されるみ帯で、だんだん発声が明瞭にもなるなどが実感できるので、ボケ防止の処方薬服用は必用無くなりそうです(笑)