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2008年といえば自分が PC でインターネット空間の YouTubeを積極的に視聴するようになった時期です。 福田康夫政権時だ。。
2005年にはじめたgooブログが少しは、記事の字数も増え、多少なりともブログ記事の体裁が出来た頃で、むしろ、yahooの掲示板と、ネットサーフィンで、中央競馬サイトの予想サイトチェックに夢中になっていた時代と記憶します。
2008年5月に北京五輪聖火リレーに関連する長野暴動を知り、それ以前から、チベットの惨状を知って「フリーチベット」意識が芽生えていた時期でもあり、当時、暴動の背後にある日本駐在中国大使館と国民動員法があったと認識しました。
中国人の個人主義、自己保身主義に特異なものを感じ取っていたことから、組織的動員がなければ、あれだけの中国人が、長野に集まる道理が理解出来るはずがありません。
その意味で、中国人が傍若無人に長野で暴動を起こしたのですから 中国人への嫌悪感、危険視は、以後自身の通常モードになった起点の一つが2008年北京五輪聖火リレーに関連する長野暴動「でした。
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同領事館がの統一戦線工作部指揮下の工作員の主導を直感して、日本社会、日本の政治、とりわけ親子二代で政治を政権の立場からミスリードした「福田政権」への不満、疑念を感じては、kazanの知恵袋、O氏との酒席で講釈を傾聴し、意見を交換したのもその時期に重なります。
さらにその時期に知ったのが日本文化チャンネル・桜やニコニコ系のAJOUR(正確な名称・スペルは失念)に出演する言論人の発信を興味深く視聴していて、それまで右翼と言えば、騒がしい、一見危ない系のおじさんかキレかかったエキセントリックな青年を連想するのが先行し、大きな距離感を維持してきてた時でもあり、複数の保守系チャンネルで発信される、討論、対談、言論発信コンテンツには新しい潮流を感じたものでした。
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その延長上にあったのが、関西の商業施設(確か大阪か京都のデパート)で開催された「人体の不思議展」という展示会をめぐり、その展示物が本物の人間の死体を加工したものであるということが問題になり、それを積極的に問題提起したのは新唐人であり、そのメディア媒体が「大紀元」であったことです。
その時、新唐人TVのHPにリンクがあった「九評共産党」の動画コンテンツと、そのコンテンツが、数年後に、youtubeから削除されていない事実に注目した時、このメディアの発信を好意的に受けて止めるようになってました。
1999年7月20日、江沢民国家主席の主導で始まった法輪功学習者への迫害が、新唐人をして、2000年にニューヨークで新メディアたる「大紀元」を設立し、反中国共産党を主張するメディアが生まれた経緯を知ったのもこの時期で、後年の、2010年前後に知ったことが、臓器狩りの実態でした。