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三木武夫内閣の空想的平和主義が44年を経て、脅威対抗型防衛計画に化学変化したとすれば、太平の夢打ち破ったのは、ロシアのウクライナ侵攻だったと言えそう。
冒頭の記述前半は、5月6日虎ノ門Nで、江崎道朗氏の解説で 「三木武夫内閣の空想的平和主義が44年を経て、脅威対抗型防衛計画になった」と解説。
音声 ↓↓↓↓↓ 冒頭8秒間は空白デスので。。。(汗)
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kazanの従来から主張する「日本の防衛と外交政策のドラスティックな変更には黒船効果しかないだろう」はアタリました。
惜しむらくは、kazanの予想は、令和の黒船も米国かと想像したのですが、今回の黒船は、「ロシアの暴発」でしたので、精度50%か。。。
それでも、再三発信する、ウクライナ戦争は、米国が煽りに煽り、ロシアがその気になったとする「米国起点」があるとすれば、25%のプラス調整で、精度は75%くらいか(笑)
近いうちに花蓮の石屋にいって、新しい水晶玉を買おうかと思いつつ、悩んでいるデス。
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それにしても、空想的平和守義って、戦前派世代のがリアルな体験をしたわりには、安全保障に関して、かなりノーテンキのような印象は払拭できない。
このDNAが、後に海部茂樹内閣に伝承され、
1991年、小沢一郎主導により湾岸戦争の戦費として多国籍軍に130億米ドルもの資金を提供する。戦後クウェートの新聞に載せられた感謝広告に日本の国旗が掲示されなかった という激辛な苦湯を飲まされることに。。
平和主義者が、自身の発信音に酔いしれる、悪弊を嫌というほど見せつけられてきたのが日本国民ではなかったか。
とすれば、黒船の到来は、あまりに遅すぎたような気がしてなりませんデス。