もう10年近く前になると思います。ある週刊誌で、輿石東氏を「赤いシーラカンス」とよんだ記事がありました。
その輿石東本民主党幹事長が引退表明をしました。
記事内容は忘れましたが、「赤いシーラカンス」と名付けたネーミングに、当を得たものと感心し、この事だけが記憶に残っています。
kazanが持つ「シーラカンス」のイメージは、昼なお太陽の光が届かない超深海部の海流も無いの闇を、数億年進化を止め、硬い甲冑のような表皮を持った得体に知れない「生きる化石」といれたシーラカンスと評されたのは、まったく妙をえた表現といまでも感心してます。
赤い闇に覆われた風魔殿日教組の組織で、生息した経歴は。産経紙を転載すれば
小学校教諭や山梨県教組委員長を経て、平成2年の衆院選に旧社会党から出馬し初当選。8年の衆院選に落選したが、10年に参院にくら替えし、現在3期目。参院議員会長を長く務め、「参院民主のドン」として影響力を誇示した。23~24年の野田佳彦政権では参院議員では異例となる党幹事長を務め、25年8月に副議長に就いた。(出典:1月15日、産経新聞)
とあります。
ネオコンリアリストのkazanとは正対局に存在する人物ですが、無表情な表情、 日教組の中で叩き上げ、激しい組織内闘争を生き延びてきた事を思えば、「赤いシーラカンス」は彼にとって「勲章」かもしれません。
日本社会党から、民主党に鞍替えして生き延びたことを思えば、逆に社会党に残り、日本社会党の1990年の総選挙で136議席をとった栄華の時代に固守し衆参合わせて5名に退化した根絶種、ガラパゴス・民社党も比べれば、その進化論的遺伝子の強靭さに驚きます。
南海の海でたまに捕獲されるシーラカンスは、船船上でも獰猛に活動し、捕獲者が棒でたたく画像を幼少期に見た記憶が今だに海馬に残っていますが、参院民主の「ドン」として君臨した赤いシーラカンスは、これからも影響力を行使するのでしょうか? 興味が持ち上がります。