S.P.ハンティントンの「文明の衝突」は、東西の冷戦構造の終焉が文明の衝突に移行するかのように言われてましたが、極東における、米中の衝突は予測してなかったようです。
あるいは、それも文明の衝突に含めたのかもしれません。
下の難民・移住者の画像や最近お情報を聞く付け、地政学無能者による外交戦略の失敗は、衝突した地では、あらたな文明による経済構造が誕生するどころか、誕生の「種」になるはずの人間の脱出が始まったかのようです。
およそ四半世紀前テレビでベルリンの壁がこわされる瞬間を見たkazanは、その後幸運にも、ソ連の崩壊をも映像で見ることができました。
生きて入れば良い事もあります。
そして、「文明の衝突」を手にしたとき、S.P.ハンティントンのいう、資本主義と共産主義の対立構造からなる、東西対決は、資本主義の勝利から始まり、 これからは地球の南北あるいは、キリスト教文明とイスラム文明との衝突かと想像したものです。
でもそれは、すこしばかり、kazanの早トチりでした。
勝利に慢心した資本主義がは上からの目線で、中国に投資を始めた。 あたかも、1842年の南京条約にでの権益である帝国主義の発露の代わりになる、「投資」は米ドルという武器で支那を席巻したはずでした。 でもそこには、大きな落とし穴がありました。
それは、21世紀という舞台に残滓の中のゾンビのように、したたかに生存し続けた支那・中国共産党の存在とITのイノベーションです。
慢心した、主たる米日欧の投資家は、ITイノベーションが、わずかの期間に、1945年で時間が止まったか、あるいは文革で疲弊し、1945年よりはるか以前の情報と国力、産業インフラしかない国が、20数年で成長させたことに気が付きませんでした。
もっとお笑いなのは、その成長したゾンビが自らが開催した「五輪」と「万博」で、自身による「大国」宣言するまで、その脅威に気が付かずに、太らせ、収奪させ、不法に情報を入手することに、なんら対策、警鐘を講じませんでした。
この中国を、S.P.ハンティントンの「文明の衝突」は、見落とすかスキップしたのでしょうか、kazanの疑問の一つです。
kazanは、ジャスミン革命が起きたとき、S.P.ハンティントンの「文明の衝突」の先見性を驚嘆したものです。 その革命の地に、従来型の資本主義と民主主義の価値観を共有できる社会構造が、できると思っておりました。
外れました。
衝突のエネルギーは時間の進行で調和に変わると思ってたのが、シリア国内、イラク国内、イスライルとイランの問題に対して、オバマアメリカのプレゼンスは何ら有効な努力をしませんでした。 その結果、この地域が発火点となり、難民問題が表面化し、生存権のために自分の故国を逃れる膨大な数のイスラム教徒がキリスト教社会あるいは、極東社会へ衝突では無くて、侵食を始める結果をもたらたのではと思ってなりません。
アフリカ、中東を定規で線引きしたヨーロッパ、の歴史的責任の問題も避けられないのではとも思いますね。
ISILはまた新たな発信を始めたよです。 動画リンク https://www.youtube.com/watch?list=PLz2FHGxPcAljoiGriHRI5ADECZegQMPOb&v=BZeGX0ubk4Y
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