NHKのニュースが報じた・「PCー8001」登場40年 当時の担当者が思いを語る は、感慨深い思いが出るニュースでした。
40年か。。。「PC-98」が出たのはその2年か3年後。 16ビットのPC-98を手に入れた時は、人生が変わったような興奮を覚えた記憶がある。
— katsukazan (@asanai106) August 5, 2019
「PCー8001」登場40年 当時の担当者が思いを語る | NHKニュース https://t.co/NnpD6eAoWX
レノボ
レノボは中国企業ながら、2000年前後の頃、IBMのPCブランドを譲渡されてPCに参入したメーカーです。
その時点で、日本IBMは、いち早くハードから離れて、ソフトにビジネスを集中しました。
kazanの場合
kazanなんかアホだから、それも知らず、日比谷シティのBFにあるNECのbit-inにいる綺麗なインストラクターと束の間の接触の心を奪われ、PC9801F-2を購入し、以後つかの間の接点を求めて、オフィスを抜け出して、日比谷通いしてた記憶が蘇ります。
当時のインストラクターは、今のレースクィーンよりベッピンで、知性的な印象があり、AKB48もない当時としては、いわば追っかけみたいなものです。
バブル時代は、NEC、富士通、東芝、ソニー、がIBM不在のなかでリーディングブランド。
続くのが日立、三菱、シャープ、サンヨー。
2つのグループの中間にいたのが松下でした。
それから35年を経て、NECはPC事業がレノボの傘下になったことを、このニュースで知ることに。。
そして健闘しているのは松下のみで、すべて死滅状態です。
日本のバブルの時、Appleは
iOSとIPhoneでGAFAの唯一のメーカー・ブランドを確立したAppleの企業規模は、上段の日本メーカーと比較すれば、当時は全くの中小規模の専業メーカーです。
この時期、日本のメーカーはWindowsにのめり込み、一方では日本スペックのオーバーハイスペックなガラ携を主力製品にして、他社にない付加機能の開発競走に明け暮れていました。
↑ ↑ ↑ 表現力が逆に劣化しているのを思い知らされ、(汗)状態です。
これも、熱帯ボケの加齢ボケが顕著であることを自己診断出来た次第(苦笑)