この間はお盆でね。沢山の人がふるさとへ
向かって、ひかりや飛行機などを使って大移動を
しましたよね。毎年毎年あれをやるんだね。何故、
ふるさとへ向かって人間は帰るのかなあと思う
けれどもね。なつかしいんですよね。やっぱり、
自分の生まれたところ、育ったところ、そして、
自分を快く迎えてくれるところ、飾りがとれる
ところ、それがふるさとでしょうねえ。
私も、新潟と東京と両方ふるさとをもちました
けどね。どっちもいいですね。私は、私の生きて
いた時はねえ、母の中にやっぱりふるさとを
見てましたね。小っちゃい母でしたけどね。いつも
ニコニコして、私のすることに絶対の信頼をおいて
くれてね。あれは有り難かったねえ。あれが
なかったら、私は修行出来なかったんじゃ
ないだろうかしら。そう思いますよね。他の人が、
五井さんどうかしたんじゃないかとかね、気が
ちがったんじゃないかとかね、色々言っても、まあ
心配そうな顔しましたよ、ですけど、絶対に信じて
くれたものね。昌久が変なことする訳はない、
絶対大丈夫だと。だから私はやれたんだなあ。
そういう母親の信頼というものをね今思い返して
みると、これがやっぱり、神様の愛に通じるなあと
思いますねえ。何やっても神様というのは許して
下さる。例え神様なんていないなんて悪口
言ってもね、やっぱり大きな愛情で抱きとって
下さる。揺ぐことがないんですよね。母親の愛と
同じだねえ。あるいは、父親もそうですよね。
父親の愛でもいっしょですよ。やっぱり、
そういうことが基盤になってますね。そういうのを
我々はふるさとに求めるんじゃないでしょうか。
絶対に裏切られないもの。よく人が死ぬ時が近く
なると、生まれた所へ帰って死にたいとか言います
でしょう。死病にかかった人なんかがね、絶対に
ふるさとの土と空気と山と川、そういう所を見て
死にたいと思いますでしょ。それはやっぱり、
そういうものに抱かれて安心して死んでゆきたい
という想いが、自然に湧き起こるからですよ。
それが人間の自然な心というものですね。
ところで、私達は、生まれて色んな所を
ふるさとにもっているんだけれど、で、ふるさとを
離れて過ごしている人も沢山いるんだけれども、
私のふるさとは何かというと神ですねえ。
神への郷愁という本を書いたけれどもね、
これはもう変わることのないふるさとですね。神様
というのはね、これはもうとてつもなく大きな愛
でしょう。で、その愛というのは高くて、そうして
もう何ともいえない安心感、ここへ帰っていけば
間違いないですよ。絶対に間違えっこないんです。
だから、私達は安心して文句も言えるし、
恨み言も言える。とに角神様なんだから。しかし、
我々はそこへ帰るということだけではなくって、
そこへ出発点にしてね。そこがふるさとなんだと
いうこと、我々は神のふるさと人なんでね。原稿
にも書いたけどさ。そのふるさと人である我々が
神様というふるさとから出発して、色々な所へ光を
撒いてるんだということねえ。そうして、
エネルギーがきれたらそのふるさとへ戻ってね、
神様お願いしますといって、祈って、そして、光を
もらってね、又働く。こんないいことは
ありませんねえ。
このふるさとはなくならないですよ。例えば、
日本では、あるいは世界だって、今土地が狭く
なって、海を埋めたりとかやってますでしょ。
新しい都市が出来て街が出来て、そこへ
移り住んでやってるけれども、そのふるさとと
いうものはね、ある時ダムに沈んだり、色んな
ことが重なって、そのふるさとの原形そのまま
というのはなくなりますよね。ところが、この
ふるさとはなくならないんだね。このふるさとは
なくなりっこないんです。これは我々の魂の元の元
ですもの。神様というのはそうですよ。我々の元の
元でしょ。その元はなくなりっこないんです。
我々の生命だって、ずっと生き通しだというのは
観念論じゃないんです。本当にずっと我々は抱か
れてゆくんですけど、それはこの神様という
ふるさとをもってればこそね、我々はそういうものを
実感することができる。あたたかいんですよね。
とてもあたたかい。ちょうど私の母の絶対の信頼の
ようなね、そういうあたたかさですね。それが
あるから、それを自分の体の中に貫いて見ちゃっ
たから、私は本当の私に出会っちゃったから、
だから、私はあなた方に自信をもってね、間違いの
ない世界が神様という世界があって、大きな愛が
あって、それによって我々が生きているんだという
ことを語りつぐことが出来る。これは間違いのない
事実ですね。それは五井昌久だけにあるんじゃない。
皆の中にあるんですよね。
そういう信仰は、五井先生だけで五井先生
ならではだと皆言うけれど、そうではない。なら
とか京都じゃないんです。皆が同じふるさとを
もっていて、そして、そのふるさとが絶えることが
なく我々の中にあり、我々が帰ろうと思えば、
そこへいつでも帰ることができる。そこを思えばね、
我々のエネルギーも何もかも新たにされていく
ということですよね。そこを忘れてというか、
忙しくなっちゃうと皆この世の中だけに
なっちゃうけど、そのふるさとへ帰ろうと思えば
祈ればいいんですからね。祈って、そして、神様の
名を呼んでね、守護霊さん守護神さんの名を
呼んでねえ、やってる時にはあなた方はもう
ふるさと人ですよね。ふるさとへ帰ってる訳ですよ。
いつでも帰れる。いつでも癒してもらえる。
そういうものを我々は皆もってるんですね。
だから、この我々の宝というもの、朽ちることの
ないふるさと、神様というものを大事にして
呼びかけて、そして、皆が神様の愛を受けた子供
なんだということを覚えてね、毎日毎日が過ごせて
ゆけるように、どうぞ精進なすって下さい。
昭和63年8月26日
向かって、ひかりや飛行機などを使って大移動を
しましたよね。毎年毎年あれをやるんだね。何故、
ふるさとへ向かって人間は帰るのかなあと思う
けれどもね。なつかしいんですよね。やっぱり、
自分の生まれたところ、育ったところ、そして、
自分を快く迎えてくれるところ、飾りがとれる
ところ、それがふるさとでしょうねえ。
私も、新潟と東京と両方ふるさとをもちました
けどね。どっちもいいですね。私は、私の生きて
いた時はねえ、母の中にやっぱりふるさとを
見てましたね。小っちゃい母でしたけどね。いつも
ニコニコして、私のすることに絶対の信頼をおいて
くれてね。あれは有り難かったねえ。あれが
なかったら、私は修行出来なかったんじゃ
ないだろうかしら。そう思いますよね。他の人が、
五井さんどうかしたんじゃないかとかね、気が
ちがったんじゃないかとかね、色々言っても、まあ
心配そうな顔しましたよ、ですけど、絶対に信じて
くれたものね。昌久が変なことする訳はない、
絶対大丈夫だと。だから私はやれたんだなあ。
そういう母親の信頼というものをね今思い返して
みると、これがやっぱり、神様の愛に通じるなあと
思いますねえ。何やっても神様というのは許して
下さる。例え神様なんていないなんて悪口
言ってもね、やっぱり大きな愛情で抱きとって
下さる。揺ぐことがないんですよね。母親の愛と
同じだねえ。あるいは、父親もそうですよね。
父親の愛でもいっしょですよ。やっぱり、
そういうことが基盤になってますね。そういうのを
我々はふるさとに求めるんじゃないでしょうか。
絶対に裏切られないもの。よく人が死ぬ時が近く
なると、生まれた所へ帰って死にたいとか言います
でしょう。死病にかかった人なんかがね、絶対に
ふるさとの土と空気と山と川、そういう所を見て
死にたいと思いますでしょ。それはやっぱり、
そういうものに抱かれて安心して死んでゆきたい
という想いが、自然に湧き起こるからですよ。
それが人間の自然な心というものですね。
ところで、私達は、生まれて色んな所を
ふるさとにもっているんだけれど、で、ふるさとを
離れて過ごしている人も沢山いるんだけれども、
私のふるさとは何かというと神ですねえ。
神への郷愁という本を書いたけれどもね、
これはもう変わることのないふるさとですね。神様
というのはね、これはもうとてつもなく大きな愛
でしょう。で、その愛というのは高くて、そうして
もう何ともいえない安心感、ここへ帰っていけば
間違いないですよ。絶対に間違えっこないんです。
だから、私達は安心して文句も言えるし、
恨み言も言える。とに角神様なんだから。しかし、
我々はそこへ帰るということだけではなくって、
そこへ出発点にしてね。そこがふるさとなんだと
いうこと、我々は神のふるさと人なんでね。原稿
にも書いたけどさ。そのふるさと人である我々が
神様というふるさとから出発して、色々な所へ光を
撒いてるんだということねえ。そうして、
エネルギーがきれたらそのふるさとへ戻ってね、
神様お願いしますといって、祈って、そして、光を
もらってね、又働く。こんないいことは
ありませんねえ。
このふるさとはなくならないですよ。例えば、
日本では、あるいは世界だって、今土地が狭く
なって、海を埋めたりとかやってますでしょ。
新しい都市が出来て街が出来て、そこへ
移り住んでやってるけれども、そのふるさとと
いうものはね、ある時ダムに沈んだり、色んな
ことが重なって、そのふるさとの原形そのまま
というのはなくなりますよね。ところが、この
ふるさとはなくならないんだね。このふるさとは
なくなりっこないんです。これは我々の魂の元の元
ですもの。神様というのはそうですよ。我々の元の
元でしょ。その元はなくなりっこないんです。
我々の生命だって、ずっと生き通しだというのは
観念論じゃないんです。本当にずっと我々は抱か
れてゆくんですけど、それはこの神様という
ふるさとをもってればこそね、我々はそういうものを
実感することができる。あたたかいんですよね。
とてもあたたかい。ちょうど私の母の絶対の信頼の
ようなね、そういうあたたかさですね。それが
あるから、それを自分の体の中に貫いて見ちゃっ
たから、私は本当の私に出会っちゃったから、
だから、私はあなた方に自信をもってね、間違いの
ない世界が神様という世界があって、大きな愛が
あって、それによって我々が生きているんだという
ことを語りつぐことが出来る。これは間違いのない
事実ですね。それは五井昌久だけにあるんじゃない。
皆の中にあるんですよね。
そういう信仰は、五井先生だけで五井先生
ならではだと皆言うけれど、そうではない。なら
とか京都じゃないんです。皆が同じふるさとを
もっていて、そして、そのふるさとが絶えることが
なく我々の中にあり、我々が帰ろうと思えば、
そこへいつでも帰ることができる。そこを思えばね、
我々のエネルギーも何もかも新たにされていく
ということですよね。そこを忘れてというか、
忙しくなっちゃうと皆この世の中だけに
なっちゃうけど、そのふるさとへ帰ろうと思えば
祈ればいいんですからね。祈って、そして、神様の
名を呼んでね、守護霊さん守護神さんの名を
呼んでねえ、やってる時にはあなた方はもう
ふるさと人ですよね。ふるさとへ帰ってる訳ですよ。
いつでも帰れる。いつでも癒してもらえる。
そういうものを我々は皆もってるんですね。
だから、この我々の宝というもの、朽ちることの
ないふるさと、神様というものを大事にして
呼びかけて、そして、皆が神様の愛を受けた子供
なんだということを覚えてね、毎日毎日が過ごせて
ゆけるように、どうぞ精進なすって下さい。
昭和63年8月26日