(前日からの続き)
神様の流れのままに生きるということは、
私はよく書きますけれど、その神様から来る
流れの中ではいろんなものがあるんです。
調和しているものもあれば、一見して
不調和のものもある訳です。
大波小波もある訳なんです。
だから、流れのままに生きる事は、その
大波小波に覚悟していけますよという、
そういう事なんですよ。
そこの所を間違えて、いい事ばかり解釈
していると、悪いとみえるような事があった
時に、何で神様がいるんだろう、何で仏様が
いるんだろうになっちゃうんです。
ところが、その流れというのは、本質的には
人間を良くしよう、もっと調和させてやろう
という神様の心ですからね。
それに本当に乗っかって任せきって
いればですね、必ず光も送るし、必ず道が
開けるんですよ。
そこの所で、ああ本当に私は生かされて
いる、本当に祈りがある、本当にここで
任せて任せて任せ切っていったら、自分の
生命が開くんだっていうふうに信じ切って
下さればね、そこで人間の持っている老人の
持っている我なんて、ふっ飛んじゃうん
ですよね。
70幾つの人が生きてる、60幾つの人が
生きてるというよりも、その人の天命自身が
輝くんですよ。
ですから、素直になるっていうのはね、
あくまで神様に素直になるという事であって、
自分の我がでてくるという事じゃ
ないですよね。
ただそれだけに私生活が非常に難しい。
だから、自分が非常に腹が立ったり
切なかったりした、そういう気持ちを
味わった時に、まてよこれは私の我なのかなあ、
それとも神様から来ている流れの中で覚悟しろ
ということなのかなあ、ということを考えながら、
世界人類が平和でありますようにとやってゆくと、
お祈りの中にこめられてる愛念がですね、
そりゃあお前さん我だよとか、そうじゃない、
そりゃあ神様の流れなんだから覚悟して
受けなさいって事は、後ろが教えて
くれますよ。
自分が考える事じゃないですよね。
後ろが教えてくれますから、自分が
想い悩み始めたなと思ったら、とに角、
祈って、五井先生に聞いて神様に聞いて、
これどっちなんでしょうと、こっちに預けて
くれたらですね、こっちがものすごく
知らせやすいんです。
それを皆預けきらないものだから、これは
どうなんだろうか、ああなんだろうかと
想い悩んで、あれはおかしいこれはおかしい
となっちゃうんです。
あれはおかしいこれはおかしいという事は、
神様の世界には一つとしてないんですよ、
完全ですからね。
ですから、あれはおかしいこれはおかしい、
これは苦しいですよ先生、という時には
こっちへ駆け込んで来ればいい訳なんです。
まだみんな駆け込み方が足りないんです。
そういう事ですから、若者も老人も
ひっくるめて、生命に素直になって
生きるっていうことは大変なことですけれど、
そこを目指して、光に満ちた人ができ上がって
いくように、こっち側から応援していますから、
そんなふうに生きていってもらったらと思います。
神様の流れのままに生きるということは、
私はよく書きますけれど、その神様から来る
流れの中ではいろんなものがあるんです。
調和しているものもあれば、一見して
不調和のものもある訳です。
大波小波もある訳なんです。
だから、流れのままに生きる事は、その
大波小波に覚悟していけますよという、
そういう事なんですよ。
そこの所を間違えて、いい事ばかり解釈
していると、悪いとみえるような事があった
時に、何で神様がいるんだろう、何で仏様が
いるんだろうになっちゃうんです。
ところが、その流れというのは、本質的には
人間を良くしよう、もっと調和させてやろう
という神様の心ですからね。
それに本当に乗っかって任せきって
いればですね、必ず光も送るし、必ず道が
開けるんですよ。
そこの所で、ああ本当に私は生かされて
いる、本当に祈りがある、本当にここで
任せて任せて任せ切っていったら、自分の
生命が開くんだっていうふうに信じ切って
下さればね、そこで人間の持っている老人の
持っている我なんて、ふっ飛んじゃうん
ですよね。
70幾つの人が生きてる、60幾つの人が
生きてるというよりも、その人の天命自身が
輝くんですよ。
ですから、素直になるっていうのはね、
あくまで神様に素直になるという事であって、
自分の我がでてくるという事じゃ
ないですよね。
ただそれだけに私生活が非常に難しい。
だから、自分が非常に腹が立ったり
切なかったりした、そういう気持ちを
味わった時に、まてよこれは私の我なのかなあ、
それとも神様から来ている流れの中で覚悟しろ
ということなのかなあ、ということを考えながら、
世界人類が平和でありますようにとやってゆくと、
お祈りの中にこめられてる愛念がですね、
そりゃあお前さん我だよとか、そうじゃない、
そりゃあ神様の流れなんだから覚悟して
受けなさいって事は、後ろが教えて
くれますよ。
自分が考える事じゃないですよね。
後ろが教えてくれますから、自分が
想い悩み始めたなと思ったら、とに角、
祈って、五井先生に聞いて神様に聞いて、
これどっちなんでしょうと、こっちに預けて
くれたらですね、こっちがものすごく
知らせやすいんです。
それを皆預けきらないものだから、これは
どうなんだろうか、ああなんだろうかと
想い悩んで、あれはおかしいこれはおかしい
となっちゃうんです。
あれはおかしいこれはおかしいという事は、
神様の世界には一つとしてないんですよ、
完全ですからね。
ですから、あれはおかしいこれはおかしい、
これは苦しいですよ先生、という時には
こっちへ駆け込んで来ればいい訳なんです。
まだみんな駆け込み方が足りないんです。
そういう事ですから、若者も老人も
ひっくるめて、生命に素直になって
生きるっていうことは大変なことですけれど、
そこを目指して、光に満ちた人ができ上がって
いくように、こっち側から応援していますから、
そんなふうに生きていってもらったらと思います。