〇
光にみちた世界は
何も神殿や
社ばかりではないのです
もっといえば
いたる所に
神様の光は
みちているのです
自分のような人間は
まだまだ
なんて
思うのが
間違いの元
今は
そんな上品な
遠慮が
通る時じゃありません
みんな
神様の分霊
分生命という
教義は
なぐさめでも
おかざりでも
ありません
みんなが
明るい
神の
いのちに
目覚めて
その
目覚めを
深くすればするほど
光は
増し加わり
強められていくのです
なぜなら
人間は
神様の
光を受けて
生まれた存在なのだから
元々が
明るいんですから
ただ
あんまり
明るすぎて
こんなに
自分は明るいのかしらと
思わず
あたりをみまわしているのが
今の状況です
世界人類が
平和でありますように
という祈りを唱えながらでも
これでいいのかしら
私は明るいのかしら
本当に
明るいのかしらと
思っちゃう
こっちからみてると
もうどうしようもないなあと
思うほどだし
笑ってしまうけれど
みんな
明るいんです
五井先生が
保障します
私には
何がみえているかと
いうと
みなさんの
肉体の奥の
奥の奥の
光りかがやいている
さながらの
生命がみえてるんです
くらいくらい
想念や
業といった
幽界の世界じゃない
幽・霊・神界を
突き抜けて
どこまでも
明るい
さながらの
ほがらかな
生命が
みなさん
一人一人の
天命が
みえているんです
だから
五井先生
病気です
子どもが死にそうです
家の中が
引っくり返って
いますと
泣きながら
きてもね
そこで感情を
動かされないんじゃない
十分
みんな大変だと思うし
かわいそうだと
私の個性
神様が
守護の神霊が
のこしてくれた
人間
五井昌久の心は
おもうけれど
本心本体の
ずっと
神界に
つながっている
私自身は
奥の奥の
みんなの天命を
一瞬にしてみているし
また
みせられるんです
いのちというもの
いのちを
支えている
人間の天命
神様から
与えられた
天命というものは
ずっとずっと
宇宙神の
みこころの
大奥の
奥底にまで
つらなっている
ものなのです
それを
私はみているんです
だから
この世の中での
或る
一人の個人を
いやす
かしわ手を
打っているようでいて
実は
その人の
何十生
何百生
何千生後の
みちすじを
ばーっとみて
それで
その道筋は
誤りなく
保つことができるように
守護の
神霊が
その人の魂を
みちびきやすいように
とりあえず
今
とりのぞいておいた方がいいものを
のぞくわけです
けれども
のぞくといったって
それが
その人の
願い通りのものを
とりのぞくとは
かぎらないんです
あくまでも
この世も
あの世もなく
ひとつづきに
ずーっと
つづいてゆく
いのちというもの
その人のその人らしさと
いうものが
真実に
発揮できるように
そのために
のぞくわけなんで
今の今
とりのぞいてほしいと
思うものと
神様側で
とりのぞくものとは
ちがうんです
しかし
それじゃあ
人間の
現在の苦しみを
かえりみないと
いうことになって
神様というのは
何て不公平だというと
それは
やっぱり
ちがうんです
どうちがうかと
いいますとね
そこに祈りが
与えられている
これで
不公平じゃないんです
(つづく)
光にみちた世界は
何も神殿や
社ばかりではないのです
もっといえば
いたる所に
神様の光は
みちているのです
自分のような人間は
まだまだ
なんて
思うのが
間違いの元
今は
そんな上品な
遠慮が
通る時じゃありません
みんな
神様の分霊
分生命という
教義は
なぐさめでも
おかざりでも
ありません
みんなが
明るい
神の
いのちに
目覚めて
その
目覚めを
深くすればするほど
光は
増し加わり
強められていくのです
なぜなら
人間は
神様の
光を受けて
生まれた存在なのだから
元々が
明るいんですから
ただ
あんまり
明るすぎて
こんなに
自分は明るいのかしらと
思わず
あたりをみまわしているのが
今の状況です
世界人類が
平和でありますように
という祈りを唱えながらでも
これでいいのかしら
私は明るいのかしら
本当に
明るいのかしらと
思っちゃう
こっちからみてると
もうどうしようもないなあと
思うほどだし
笑ってしまうけれど
みんな
明るいんです
五井先生が
保障します
私には
何がみえているかと
いうと
みなさんの
肉体の奥の
奥の奥の
光りかがやいている
さながらの
生命がみえてるんです
くらいくらい
想念や
業といった
幽界の世界じゃない
幽・霊・神界を
突き抜けて
どこまでも
明るい
さながらの
ほがらかな
生命が
みなさん
一人一人の
天命が
みえているんです
だから
五井先生
病気です
子どもが死にそうです
家の中が
引っくり返って
いますと
泣きながら
きてもね
そこで感情を
動かされないんじゃない
十分
みんな大変だと思うし
かわいそうだと
私の個性
神様が
守護の神霊が
のこしてくれた
人間
五井昌久の心は
おもうけれど
本心本体の
ずっと
神界に
つながっている
私自身は
奥の奥の
みんなの天命を
一瞬にしてみているし
また
みせられるんです
いのちというもの
いのちを
支えている
人間の天命
神様から
与えられた
天命というものは
ずっとずっと
宇宙神の
みこころの
大奥の
奥底にまで
つらなっている
ものなのです
それを
私はみているんです
だから
この世の中での
或る
一人の個人を
いやす
かしわ手を
打っているようでいて
実は
その人の
何十生
何百生
何千生後の
みちすじを
ばーっとみて
それで
その道筋は
誤りなく
保つことができるように
守護の
神霊が
その人の魂を
みちびきやすいように
とりあえず
今
とりのぞいておいた方がいいものを
のぞくわけです
けれども
のぞくといったって
それが
その人の
願い通りのものを
とりのぞくとは
かぎらないんです
あくまでも
この世も
あの世もなく
ひとつづきに
ずーっと
つづいてゆく
いのちというもの
その人のその人らしさと
いうものが
真実に
発揮できるように
そのために
のぞくわけなんで
今の今
とりのぞいてほしいと
思うものと
神様側で
とりのぞくものとは
ちがうんです
しかし
それじゃあ
人間の
現在の苦しみを
かえりみないと
いうことになって
神様というのは
何て不公平だというと
それは
やっぱり
ちがうんです
どうちがうかと
いいますとね
そこに祈りが
与えられている
これで
不公平じゃないんです
(つづく)