(前日からの続き)
我々は
生まれながらに
いや
肉体界に
生まれる
ずっと以前から
この永遠の
神の愛に
育てられ
守られて
今
ここにこうして
空気と
霊気とを
呼吸して
生きているのです
空気は
肉体を
やしなう
いのちを
霊気は
我々の
霊体から
ずっと
奥の
からだにまで
神の愛をうけて
生かされている
よろこびを
与えつづけて
いるのです
生かされる
よろこび
これこそ
神から生まれた
神の血をわけられ
神の愛を受けて
ここに
生きている
生きている
我々の
いのちの
みなもとです
すべて
神様に目をむけ
こころを向ける者は
このいかされるよろこびによって
生きています
それは
大神様から
たまわった
いのちに
畏れをいだきながら
よろこびつつ
生きるということであり
そのよろこびも
心の奥底から
おのずと湧いてくるものなのです
なぜなら
人間は
神の愛によって
おのずと生まれしめられた
さながらのいのちだからです
じねんほうにの存在なのです
義務で存在してるんじゃない
神様といのちを
高らかに
うたい上げ
うたい合う
そういう存在なのです
親と子なのですもの
血のつながりがあるのですもの
遠慮なんてありゃしない
そうでしょ
自然な
自然な間柄
自然な
自然なことなんです
いのちということは
言葉をかえるなら
いのちというのは
すなお
ということ
単純というんじゃありませんよ
純ではあっても
単純じゃない
おのずと
よろこぶという
いのちの
相(すがた)の
なかには
すべてをきよめ
濾過しつくす
きよらかな
神様の前に
まっすぐな性(さが)が
一本徹っているのです
この一本の性を
古代のおおらかな心の人々は
光の柱とみたのです
それは
はなれて光るんじゃない
自分のからだのなかから
おのずと光がみちあふれて
天の私(自分自身)へと
通じるのです
天地の自分自身
人間の相が
合体した瞬間を
古代には
ごくあたりまえの
純な人々が
目にしたのです
自分にも
人にも
かがやき
天と地とをつなぐ
光の柱
その柱一本の光の橋を
かけて下さっているのが
大神様の愛であることを
古代の人々は
一人のこらず知っていたのです
古代の人々が
神様に近かった
というより
神様のことを
本当に
自分の親だと感じ切って
くらしていたのです
丁度
現代の人間が
空気を吸うことを
当然だと思うように
否
それ以上に
神と人間とは
親しい
親しい間柄だったのです
(つづく)
我々は
生まれながらに
いや
肉体界に
生まれる
ずっと以前から
この永遠の
神の愛に
育てられ
守られて
今
ここにこうして
空気と
霊気とを
呼吸して
生きているのです
空気は
肉体を
やしなう
いのちを
霊気は
我々の
霊体から
ずっと
奥の
からだにまで
神の愛をうけて
生かされている
よろこびを
与えつづけて
いるのです
生かされる
よろこび
これこそ
神から生まれた
神の血をわけられ
神の愛を受けて
ここに
生きている
生きている
我々の
いのちの
みなもとです
すべて
神様に目をむけ
こころを向ける者は
このいかされるよろこびによって
生きています
それは
大神様から
たまわった
いのちに
畏れをいだきながら
よろこびつつ
生きるということであり
そのよろこびも
心の奥底から
おのずと湧いてくるものなのです
なぜなら
人間は
神の愛によって
おのずと生まれしめられた
さながらのいのちだからです
じねんほうにの存在なのです
義務で存在してるんじゃない
神様といのちを
高らかに
うたい上げ
うたい合う
そういう存在なのです
親と子なのですもの
血のつながりがあるのですもの
遠慮なんてありゃしない
そうでしょ
自然な
自然な間柄
自然な
自然なことなんです
いのちということは
言葉をかえるなら
いのちというのは
すなお
ということ
単純というんじゃありませんよ
純ではあっても
単純じゃない
おのずと
よろこぶという
いのちの
相(すがた)の
なかには
すべてをきよめ
濾過しつくす
きよらかな
神様の前に
まっすぐな性(さが)が
一本徹っているのです
この一本の性を
古代のおおらかな心の人々は
光の柱とみたのです
それは
はなれて光るんじゃない
自分のからだのなかから
おのずと光がみちあふれて
天の私(自分自身)へと
通じるのです
天地の自分自身
人間の相が
合体した瞬間を
古代には
ごくあたりまえの
純な人々が
目にしたのです
自分にも
人にも
かがやき
天と地とをつなぐ
光の柱
その柱一本の光の橋を
かけて下さっているのが
大神様の愛であることを
古代の人々は
一人のこらず知っていたのです
古代の人々が
神様に近かった
というより
神様のことを
本当に
自分の親だと感じ切って
くらしていたのです
丁度
現代の人間が
空気を吸うことを
当然だと思うように
否
それ以上に
神と人間とは
親しい
親しい間柄だったのです
(つづく)