ミナミさんのブログ記事です。
http://ameblo.jp/kuni-isle/
「愛は穏やかで安定したもの・・ 」
この前岡山にいた時、野生の鹿と遭遇したんです。
しっかりとこちらを見て立つ凛としたその姿に、ほれぼれしました・・
美しいんです。
なんだろ・・動物を見て珍しいとかそんなレベルじゃなくて、ものすごく
ハートが揺さぶられるような感動を覚えました。
山とか海とかの素晴らしい景色を見た時もそうですが、感謝と尊敬(言葉に
するとすごく陳腐な感じになってしまうんですけど、でもそうしか表現できない
です)の気持ちがあふれてくる。
なんかいてくれるだけで、ありがとうって思える。そんな感じ。
私の手の届かないところにいるし、向こうもこちらに来ようとか、懐いてくるとか
そんなこと全くない。
私にはその鹿に何も出来ない・・でも、良いんです。
何かしてほしいとか、何かしたいとか、そんなことはどうでもいいんです。
ただ、その姿を見ているだけで感動していました。
いま、そのシルエットを思い出すだけでも、また感動しています。
では、今日のアシュタールからのメッセージをお伝えしますね^^
「こんにちは こうしてお話しできることに感謝します。
その関係です。
具体的には何も関係していないけど、しっかりと関係している。
それが、エネルギー場でのやり取りなのです。
言葉にするのは難しいですね。
あなた達は、コントロールが関係性だと思うように教育されています。
干渉しあうことが、関係性だと思わされているのです」。
コントロール、干渉は、力関係です。
何かの関係が出来ると(出会うと)すぐにバランスゲームがはじまります。
どちらが先に相手をコントロールするか・・というゲームです。
そして、一度そのバランスが決まってしまうとずっとその関係が続くことになるのです。
最初から決まっていることもあります。
会社での立場(上司や部下)、ペットならば飼い主、仕事においては依頼する側と
させていただく側。
恋愛でもそうですね・・どちらが主導権をとるかのゲームをするのです。
だから、あなた達は先に好きだというと、なんだか弱みを見せるようで悔しい・・
などということが出てくるのです。
コントロール下においてはじめて安心します。
でも、それは気持ちのいい関係ではありません。
気持ちの良い関係においては、コントロールはありえないのです。
気持ちの良い関係というのは、干渉し合わない関係です。
言いたいことが伝わっていますでしょうか?
どんな関係においても、私のものだ(人間もペットと言われる動物も)という存在は
いないのです。
みんな自由で、誰のものでもありません。
お互いの存在に対しての感謝と尊敬の気持ちが”愛”なのです。
エネルギー場でしっかりとつながっていることがわかれば、コントロールなんて
いらないことがわかります。
結婚という契約も必要ないし、不倫や浮気などと言う言葉もナンセンスだと
いうことが分かります。
あなたを愛してるから結婚した・・だからあなたは私のものなの・・
とても矛盾した言葉です。
愛してるのは、あなたなのです。
愛することが出来て感謝してください。
愛する人の存在に感謝してください。
そして、愛する人の気持ち、意思、思考を尊重してください。
もし、あなたが愛している人が、あなたと共にいたいと思わなくてもそれはそれで
良いんです。
愛してるのは、あなたなのですから。
あなたの愛をそのまま返してくれる人だけを愛するのではありません。
分かりますか?
愛することが出来た・・それが感謝なのです。素晴らしい体験なのです。
だから、もしその人と思ったような体験が出来なくても、あなたがその人を愛する
障害にはならないのです。
難しいですか?
あなた達は、所有とコントロールが愛だと思わされてしまっています。
所有とコントロールは、愛から離れたものです。
自分の思い通りにならないから、私は不幸せだ、愛されていない・・と思ってしまうのです。
愛は、感謝と尊敬です。
愛するということは、相手の意思を尊重するということです。
だから、たとえあなたが望んでいるような行動をしてくれなくても、あなたが
その人を尊敬し、その人の意思を尊重し、存在に感謝出来たことがあなたに愛の
エネルギーをもたらしてくれるのです。
その愛は、とても穏やかで平和で安定しています。
所有とコントロールの観点から見るから、不安と怖れと心配で苦しくなるのです。
ただお互いがいる・・そのことに感謝と尊敬だけがあれば、とても気持ちのいい
関係を築くことが出来るのです。
あなたの心に平安が訪れ、あなたの中が愛のエネルギーで満たされるのです。
これは男女の関係だけのことではありません。
親子でも、ペットでも、どんな関係においても同じです。
あなたに愛をこめてお伝えいたします」
ありがとう アシュタール! 感謝します。
(転載終了)
僕があなたを愛する気持ちは「僕だけのもの」なので、たとえ愛するあなたであっても、それをとやかく
言う権利はない。
しかし
僕があなたを愛し、たとえあなたが僕の意に沿わなかったとしても、僕はあなたを愛せたことを誇りに
思うし、愛させてくれたあなたには、感謝でいっぱいだ。
極論かも知れないけれど、
僕の思いと、相手の思いが違う方向を向いていても、「それはそれ」。
僕の、愛と感謝の気持ちとは別のことなので、僕の愛と感謝の気持ちは、なにも変わらない。
ということから発展させて、
たとえ誰かが、僕の意に沿わない発言や行動をとったとしても、気に入らないと文句を言ったり、怒ったり、
落ち込んだりする必要はない。
なぜならそれは僕が、(ある意味)自分勝手な理想や期待を「相手に勝手に押しつけているだけ」であって、
たとえ誰であっても、「僕の意に沿う必要」はないんです。
家族であっても、他人であっても。「ひとはひと」
もちろん、その全てを受け入れることとは違います。
相手がただ「そういう態度なだけ」に過ぎない、ということです。
それこそが、「個性の尊重」だと思います。
そこから、「世界中の人々を、家族のように愛する(アミのことば)」に繋がっていくのではないでしょうか。
そうだといいな。
http://ameblo.jp/kuni-isle/
「愛は穏やかで安定したもの・・ 」
この前岡山にいた時、野生の鹿と遭遇したんです。
しっかりとこちらを見て立つ凛としたその姿に、ほれぼれしました・・
美しいんです。
なんだろ・・動物を見て珍しいとかそんなレベルじゃなくて、ものすごく
ハートが揺さぶられるような感動を覚えました。
山とか海とかの素晴らしい景色を見た時もそうですが、感謝と尊敬(言葉に
するとすごく陳腐な感じになってしまうんですけど、でもそうしか表現できない
です)の気持ちがあふれてくる。
なんかいてくれるだけで、ありがとうって思える。そんな感じ。
私の手の届かないところにいるし、向こうもこちらに来ようとか、懐いてくるとか
そんなこと全くない。
私にはその鹿に何も出来ない・・でも、良いんです。
何かしてほしいとか、何かしたいとか、そんなことはどうでもいいんです。
ただ、その姿を見ているだけで感動していました。
いま、そのシルエットを思い出すだけでも、また感動しています。
では、今日のアシュタールからのメッセージをお伝えしますね^^
「こんにちは こうしてお話しできることに感謝します。
その関係です。
具体的には何も関係していないけど、しっかりと関係している。
それが、エネルギー場でのやり取りなのです。
言葉にするのは難しいですね。
あなた達は、コントロールが関係性だと思うように教育されています。
干渉しあうことが、関係性だと思わされているのです」。
コントロール、干渉は、力関係です。
何かの関係が出来ると(出会うと)すぐにバランスゲームがはじまります。
どちらが先に相手をコントロールするか・・というゲームです。
そして、一度そのバランスが決まってしまうとずっとその関係が続くことになるのです。
最初から決まっていることもあります。
会社での立場(上司や部下)、ペットならば飼い主、仕事においては依頼する側と
させていただく側。
恋愛でもそうですね・・どちらが主導権をとるかのゲームをするのです。
だから、あなた達は先に好きだというと、なんだか弱みを見せるようで悔しい・・
などということが出てくるのです。
コントロール下においてはじめて安心します。
でも、それは気持ちのいい関係ではありません。
気持ちの良い関係においては、コントロールはありえないのです。
気持ちの良い関係というのは、干渉し合わない関係です。
言いたいことが伝わっていますでしょうか?
どんな関係においても、私のものだ(人間もペットと言われる動物も)という存在は
いないのです。
みんな自由で、誰のものでもありません。
お互いの存在に対しての感謝と尊敬の気持ちが”愛”なのです。
エネルギー場でしっかりとつながっていることがわかれば、コントロールなんて
いらないことがわかります。
結婚という契約も必要ないし、不倫や浮気などと言う言葉もナンセンスだと
いうことが分かります。
あなたを愛してるから結婚した・・だからあなたは私のものなの・・
とても矛盾した言葉です。
愛してるのは、あなたなのです。
愛することが出来て感謝してください。
愛する人の存在に感謝してください。
そして、愛する人の気持ち、意思、思考を尊重してください。
もし、あなたが愛している人が、あなたと共にいたいと思わなくてもそれはそれで
良いんです。
愛してるのは、あなたなのですから。
あなたの愛をそのまま返してくれる人だけを愛するのではありません。
分かりますか?
愛することが出来た・・それが感謝なのです。素晴らしい体験なのです。
だから、もしその人と思ったような体験が出来なくても、あなたがその人を愛する
障害にはならないのです。
難しいですか?
あなた達は、所有とコントロールが愛だと思わされてしまっています。
所有とコントロールは、愛から離れたものです。
自分の思い通りにならないから、私は不幸せだ、愛されていない・・と思ってしまうのです。
愛は、感謝と尊敬です。
愛するということは、相手の意思を尊重するということです。
だから、たとえあなたが望んでいるような行動をしてくれなくても、あなたが
その人を尊敬し、その人の意思を尊重し、存在に感謝出来たことがあなたに愛の
エネルギーをもたらしてくれるのです。
その愛は、とても穏やかで平和で安定しています。
所有とコントロールの観点から見るから、不安と怖れと心配で苦しくなるのです。
ただお互いがいる・・そのことに感謝と尊敬だけがあれば、とても気持ちのいい
関係を築くことが出来るのです。
あなたの心に平安が訪れ、あなたの中が愛のエネルギーで満たされるのです。
これは男女の関係だけのことではありません。
親子でも、ペットでも、どんな関係においても同じです。
あなたに愛をこめてお伝えいたします」
ありがとう アシュタール! 感謝します。
(転載終了)
僕があなたを愛する気持ちは「僕だけのもの」なので、たとえ愛するあなたであっても、それをとやかく
言う権利はない。
しかし
僕があなたを愛し、たとえあなたが僕の意に沿わなかったとしても、僕はあなたを愛せたことを誇りに
思うし、愛させてくれたあなたには、感謝でいっぱいだ。
極論かも知れないけれど、
僕の思いと、相手の思いが違う方向を向いていても、「それはそれ」。
僕の、愛と感謝の気持ちとは別のことなので、僕の愛と感謝の気持ちは、なにも変わらない。
ということから発展させて、
たとえ誰かが、僕の意に沿わない発言や行動をとったとしても、気に入らないと文句を言ったり、怒ったり、
落ち込んだりする必要はない。
なぜならそれは僕が、(ある意味)自分勝手な理想や期待を「相手に勝手に押しつけているだけ」であって、
たとえ誰であっても、「僕の意に沿う必要」はないんです。
家族であっても、他人であっても。「ひとはひと」
もちろん、その全てを受け入れることとは違います。
相手がただ「そういう態度なだけ」に過ぎない、ということです。
それこそが、「個性の尊重」だと思います。
そこから、「世界中の人々を、家族のように愛する(アミのことば)」に繋がっていくのではないでしょうか。
そうだといいな。