結論は出ていなくて・・・というか結論を出すようなことでもなくって、
どうやって記事にしよう?と思い悩んでいたのですが、
まあ思いつくままつれづれに記しておこうかなあと思います。
いつも以上に読みにくい文章かもしれませんので、
疲れている人はスルーしてください
さて、2016年度の国語に関する世論調査では、「存亡の機」や「足をすくわれる」などの慣用句を正しく認識している人が少ない・・・という結果だったようです。
とくに「存亡の機」にいたっては、83.0%の人が「存亡の危機」と回答したそうで、恥ずかしながら私もそう思っていました。
しかし、さらに記事を読むと、歴代の総理大臣の談話にも「存亡の危機」という言葉が出てくるそうで、それをニュースで聞いたり、見たりしていたら、そちらを覚えてしまっても致し方ないのでは・・・と思ってみたり。
8割以上の人が「間違って」使っているとしたら、もう、正しい言葉をつかってもわかってもらえない可能性の方が高いわけで、やっぱり言葉は移り変わるものなのね・・・。
(でも、「重複」を「じゅうふく」って読むのは納得いかない世代です。←「ちょうふく」って習ったんだよ。今はどっちでもOKみたいですが、そのうち「ちょうふく」は駆逐されるのかなあ。)
たしかに、高校生の「現代国語」を教えていても、少し古めの文章だと、「言葉がわからない」かべにぶち当たっているケースが多々あります。もう、「近代」の文学は彼らにとっては「古典」と同じくらい難解なもののようです。
今は使わない言い回し、慣用句、今とは意味や使用法が違う言葉・・・結構あるんですよね。
私たち世代が「若者言葉」がわからないの同じで、かれらには「意味の分からない」言葉がたくさん出てくる近代文学。もう、「近代語辞典」とかがないと読めないかもしれない域に来ています。
「言葉は時代と共に移ろうもの」・・・ですが、ここ10年くらいの進化?変化は目覚ましいものがあるような気がします。
いや、明治とか、大正のことはわからないので、まったく根拠のない感覚的なものなのですが、
「携帯メール」が日常のツールとして定着したことが大きいように思います。
聞くところによると、「りょ」というのが「了解しました。」という意味なんだとか。
予測変換機能で「りょ」と打った瞬間に「了解しました。」まで出てくるんだから、略さなくたっていいのでは?とも思いますが、若者はなるべく短い単語、文でやりとりすることを好むようです。
ひと昔前は、「一文字いくら」のパケット料金とか気にしていたので、それもやむなしかと思いますが、今は「定額制」とかが普通になってきているのに、不思議です。
そう、短いやりとり、といえば、
時候の挨拶なんかはもちろんのこと、相手へのねぎらいもへったくれもなく、そのまま「用件のみ」のやり取りが増えました。
「手軽に」やりとりできるのがメールやLINEの良さなので、そこに「手紙」のような格式は必要ないのかもしれませんね。
生徒とのやりとりも
「宿題どこ?」→「ワークのP.〇ページから△だよ。」
「今から行っていい?」→「いいよ。」
など、実に簡潔です。
でも、仕事のメールは違います。
簡略化はされていますが、「お疲れ様です」に始まり「よろしくお願いします。」で終わります。
やはり、定型の格式美が求められます。
いつかそれも変わっていくのでしょうか。
でも、国語を教える身としては、やはりいつか変わっていくものだとしても、
「知っていて」使わないのと、「知らなくて」使えないのは違うと思うので、
いつか使わなくてはいけない時に困らない程度の知識は授けたいのですよ。
「その時になったらググるよ。」と言われちゃうかもしれませんけど。
以上、本当にとりとめのないお話でした。
携帯を新しくしたら、PCに写真を取り込む方法がわからなくなって、困っています。
ちょっと古いモコちゃん載せときます。
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