まず、酒井駒子の表紙の絵に、魅入ってしまう。
横を向いた、セーラー服の女の子がいい。
そして、色が異なるカーネーションの花が描かれている。
物語を読み終わってから、また、あらためて表紙の絵を見てしまう。
作品の内容を、こんなにも深く理解して描いていることに、つくづく、眺めてしまう。
目次の次のページの文字にも、つい立ち止まってしまう。
カーネーションは、聖母マリアが、処刑されたキリストのために流した涙から咲いたという伝承があるらしい。
花言葉には、母への愛というものほか、軽蔑、拒絶、失望、と記されている。
初めて知ったいわれや花言葉に、しっかり、心は掴まれて、物語を読み始めるが、このページもまた、読み終わってから、再度、読んでしまった。
軽蔑、拒絶、失望、
……かと、いとうみくの、なんだろう伏線というには安易だし、感性の趣とでもいうのだろうか、すごいなぁと思ってしまう。
帯を読む。
その帯の添えられている安東みきえ氏のセンテンス、「家族を描くならここまで書きなさいと…と、いとうみくにガツンとしかられた気がする」とある。
『カーネーション』というタイトル、そして、安東氏のセンテンス、帯に書かれるコピーから、作品の意図するところを大いに感じる。
アレレ、前置きだけでも、こんなに書いちゃって、びっくりだ。(^_^;)
なので、読後感にいきなり行く。
いうまでもなく、いとうみくの、その文章力と構成力の完成度は、高い。
つまり、母性となにか、ということである。
母は愛子という。
娘は日和。(この二人のネーミングも、何気に心憎いです。)
近年、女性には、生来、或いは本能として母性というものが具わっているかのように言われるようになっているが、洋の東西を問わず、そんなことはない。
母性というものは、その時代の状況や文化的な状況によって、後天的に培われたものなのだ。
例えば、『次郎物語』(下村湖人)、『狐』(永井荷風)、『銀の匙』(中勘助)、『坊っちゃん』(夏目漱石)などを読むと、そこで描かれる母親は、現代でいわれるほどの母性なるものを重要な要素として描かれておらず、極端に言うと子どもを産んだという役割として描かれているか、せいぜい、子の衣食住を保証するという程度の描かれかただ。
実際、母親は、それで良かったのである。
母性愛なんぞということを、母親たちは、おおよそ想像だにしなかっただろう。
育てているのは、ばあやだったり、叔母だったりする。
近年に至るまで、母親とは、そういう存在だった。
なので、子どもの方でも、それを承知している文化的土壌があるので、現代的な母性への渇望はない。
封建社会では、家庭はその社会の仕組みとして存在するが、現代の民主的と言われる社会では、個々人の意志が重要になり、家庭も個々人の意識=愛によって成り立つ単位として形成されるという具合になった。
そこに、「幻想」が生じる。
夫婦愛とか、母性愛だったり、父性愛だったり、である。
そのような「愛」が、あったら越したことはないが、ほぼ、その幻想を、あるかのように信じているだけだ。
この作品の母親、愛子は、その幻想を、あるかのように信じられなかった自分を、あるかのように信じる社会や文化の体系の中で、悩むのである。
日和の不幸は、身近に、『次郎物語』のばあや、『銀の匙』のおばさん、『坊っちゃん』の清が、いないことだった。
それにしても、日和の決断には、子としての記憶があり、子を為した記憶がある一人の女として、涙がでるほどの拍手喝采である。
子どもは、親を、捨てていいのである。
「親殺し」なんぞという心理学の手垢にまみれた語彙ではなく、真に捨てて良いのである。
それが、絶望の淵に立つ者の、前を向いて生きる希望である。
前へ進む道である。
それにしても、いとうみくが凄いと思うことは、決して、今在る社会や文化の体系に与しないことで在る。
愛子の苦悩に、予定調和としての「トラウマ」という解決を与えなかったのだ。
こんな予定調和が、はびこる現代に在って、愛子のように、日和のように、悩んでいる人間を、励ます大いなる力になるだろう作品である。
この作品が、優れているところは、日和に親を捨てるという決断をさせたことと、愛子に子どもを愛せない根拠に予定調和な結論に導かなかったことだと私は思う。
この物語には、売春も、援交も、万引も、妊娠も、煽るような事象は一切、描かれていない。
そんなものを引きずって描くB級テレビドラマのような手法は要らない。
良質の児童文学である。
そして、この作品に登場する人間たちに、一人として無駄な人間は描かれておらず、その人としての描写力に感嘆する。
改めて記す。
「家族を描くならここまで書きなさいと…と、いとうみくにガツンとしかられた気がする」(安東みきえ氏)
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