あらためて、家族の在りようについて、考えてみたいと思った。
それで、八束澄子著の『明日のひこうき雲』について、いとうみく著の『カーネーション』について、私なりの読後感を記してきた。
工藤純子が書いた『セカイの空がみえるまち』は、以前にもこのブログで触れたが、再度、視点を家族に据えて書いて見たいと思い、読み直した。
それで、ヘイトスピーチという語彙について、気付いたことがある。
いったい私は、なんと無知なことか。
かなりのショックだ。
ヘイトスピーチといわれると、私の頭の中には、南アのアパルトヘイトという言葉が、ソッコー連想される。
南アフリカに於ける差別政策である。
ヘイトスピーチは、英語の hate speech である。
hate の意味は、憎悪、反感、嫌悪、である。
hate は、動詞なのだ。
つまり憎悪にみちたことを人前で言うということが、直訳である。
ついては、南アで、白人と黒人の差別、隔離政策だったアパルトヘイトである。
Apartheid と綴る。
実は、これはオランダ語である。
Apartは、「別」と言う意味。
heidは、接尾辞で「こと」という意味。
直訳すると「別なこと」という意味になる。
つまり「隔離すること」= Apartheid アパルトヘイトである。
heid は、アパルトヘイトとカタカナで表記するように、ヘイトと発音する。
オランダ語では、d は、濁音にならない。
英語の hate とオランダ語の heid とは、日本語のカタカナ表記も発音でもまったく同じになる。
それで、私は、ずっと、hate speech のヘイトは、アパルトヘイトの heid ヘイトだと思っていたのである。
当たり前に考えると、オランダ語の接尾辞 heid が、英語の speech と、くっつくこと自体、アリエナイ! のだ。
ではなぜ、南アでオランダ語の Apart heid が、使用されているのか、ということだが、
それは、南アがイギリスの支配下に置かれる前、17世紀、オランダの東インド会社が補給港とするためケープタウンに、オランダ人が入植したことに始まりで、その後、フランスのユグノー、ドイツのプロテスタントなど、ヨーロッパの諸国から、宗教的自由を求めて南アに多くの欧州人が入植した。
彼らは、先発のオランダ人の言語を基盤とし、アフリカーナー(ボーア人)と称して南アで白人社会を形成していった。
それで、南アの人達の言語に、オランダ語が、今でも残っているというのだ。
因みに、このボーア人たちは、イギリスとの戦争に負けて、南アはイギリス支配下となったのだが。(ボーア戦争)
大航海時代以降、スペイン語やポルトガル語が、世界のどこかで使われているようになったように、オランダ語も世界のどこかに痕跡をのこしている。(日本語のメスやタラップやランドセルなどなど、オランダ語由来がいっぱいあるものね。)
私が、ヘイトの差違に気付いたのは、最近、テロが頻発するヨーロッパだが、ふとオランダ語の veiligheid (安全)という単語を思い出したことによる。
veilig に、くっついている heid に、あれ、これ、なんだ? と思ったのだ。
あれれ、Apart heid の heid と同じ heid ではないか。
それで、今更、ようやく、heid と hate の違いに気付いたというわけだ。
ずっと、ヘイトというカタカナ表記と日本語の発音も同じだったので、hate speech は、Apart heid に由来する語彙だと思っていた。
ほんに、無学、無知であった。
というわけで、
明日は、本題、家族について、書く。
『セカイの空がみえるまち』と、直接に関係ないことを、ここまで拘って書いてしまう己に呆れつつ……。
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