ケセランパサラン読書記 ーそして私の日々ー

◆『インドへの道』 エドワード・モーガン・フォースター 著 瀬尾裕 訳 筑摩書房

 

原題は、『A Passage to India 1924』
面白かった。
手元にあるのは、古書店で手に入れた1985年初版の筑摩書房版で、解説は、翻訳者の瀬尾裕が書いている。
この解説が、なかなか作品理解に役に立つ。
読後ではなく、読前に目を通しておくべきだったと思ったほどだ。

それでも、まぁ、ともかくも読み始めると、登場する人々のキャラが、いずれもしっかりと立っているためだろうか、大長編の上、文字が小さいことも気にならず、どんどん、読み進めてしまう。
それぞれが、なんらかの立ち位置を象徴しているにちがいないということだけは、私にも充分、分かるのだった。

私的には、エンターティメント大傑作!
瀬尾裕的には、なかなか、奥深い大傑作!!
しかし、その奥に潜んでいるだろう、あまりにも複雑に絡み合う哲学的なテーマには、そう簡単に「解った!」という訳にはいかず、「うむ~っ」と唸ってしまった。
同じ東洋とは言え、紀元前からのインドの原初的な混沌、悠久に比して、日本は2000年の時を経て、わびさび、削除に迎合のエトセトラ。
かつては、ゴータマ・シッタルダの偉大なる功績で、天竺へ憧れた我が国の文化ではありますが、気がつくと案外、かなり異なってしまった文化土壌かも?なんて思うのであります。

現在、書店やアマゾンで入手できる、ちくま文庫版。フォントも大きい。

『インドへの道』は、イギリス植民地下のインドが舞台である。
単純に言えば、アジスというムスリムの医者と、イギリスから婚約者に会いに来た女性ミス・クウェステッドの二人が象徴する文化の出会いの物語であろうか。

イギリス人としての正義感、キリスト教への信仰心というか宗教観、西洋的な恋愛観(結婚観)、支配する者としてのシステム。
ヒンズーの宗教観とムスリムの宗教観、反イギリス感情とイギリスへの憧憬、更にカースト。イギリス支配への憤懣。

主要な登場人物それぞれに、これらの価値観が複合的にからみあい、事象、心象が生じる。
西洋と東洋のまったく異なる文化の出会いと摩擦を、フォースターは、アジスを主人公にし、彼に生じる個別の問題として、それらを表出したのだろう。
インドという文化が裡に持つ複雑に交差する奥義は、並大抵には、計り知れるものではない。

まさに、インドへの道は、遠い。

映画化もされており、これも映画も見応えがある。

  因みに、この『ハワーズ・エンド』も、フォスターの著書である。

それにしても、イギリスを代表するような文豪エドワード・モーガン・フォースターが、生涯で五作しか小説を書いていなかったとは、瀬尾裕の解説を読むまで知らなかった。

<追記>
 古書ゆえの、付録の栞。高崎市立美術館のチケット。 
「巨匠たちの水彩・素描 レンブラント、セザンヌ、ゴッホから現代まで」2003年9月20日~10月26日。

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