キャベツの千切りに紫玉ネギのスライスを混ぜて、塩蒸しかぼちゃを一切れ、添えた。
かぼちゃは夏にかけて収穫し、2〜3ヶ月保存することによって甘味が増すという。
だから、かぼちゃの旬は、秋から冬。
だから、かぼちゃの旬は、秋から冬。
冬になってから、ずっと北海道産のかぼちゃが、スーパーの棚にある。
塩をふた摘み、振っただけなのに、甘くて美味しい。
ドイツのマルクト(市場)では、かぼちゃはHOKKAIDOという名前で売られている。
<余談>
むかし、むかしの、お話しです。
私が高校3年になる時、受験のためか5教科を選択しなくてはならなかった。
既に私は、進路コースを決める段階で、推薦枠で付属の短大と決めていた。
なんとも簡単なことだった。
廊下で担任とすれ違った折、「先生、ここの短大にしました」と言うと「決めたのか?」と先生。「はい」と私。
父が、関東エリアの私大の史学科を受験したという私の希望を、絶対に許可しなかった。
高2の1年間、父の赴任先へ赴き、幾度となく父と話し合い、そして激論になった。
そんな時、ふと父の論理の中に、なんというか破綻というか、今までに無い力で押し通そうする姿を見た。
私は、父を踏んづけてでも父を乗り越えようと思い続けてきたが、その時、私は、父との闘いから、そっと退却した。ギャン泣きして畳を叩いて。
なにより、私は努力が苦手だったから、父の反対を押し切って受験しても受かることはなかっただろう。英語もできなかったし😅
勿論、当時は、センター試験の類はない。
受験をしないのだから、選択教科は、大好きな教科だった日本史と地学、そして国語を取った。(自慢気に言うと、この3教科は学年でもトップクラスだった😇 )
あとの2教科は、調理栄養と被服を取った。(私立女子校だったので、当時家庭科が妙に充実していた)
即刻、担任に呼ばれて、家庭科を2教科はダメだと叱られた。
と言っても数学は嫌いだし、英語は苦手だし、物理は理解の外だったし、調理栄養を残して、科学、生物、地理より、やや好きな世界史にした。
(こちらの数英物の3教科は、自慢じゃないが、学年でもビリグループの先頭を突っ走っていた😂 ⇒私は中庸とは無縁で、子ども時から、なにごとも極端だった)
付属の短大には家政科があったけれど、そこへは進学する気持ちはまったくなかった。
でも、調理栄養の授業は楽しく、私は特に食品成分表が大好きで、ほぼ丸暗記するほど読んでいたし、調理実習も好きだった。
食品成分表は時代とともに、その内容も少しずつ見直されて、その変化も面白い。
私は、多分、この方面が向いていたのだと、この頃になって気付いた。
高校生の時、栄養士という職業を私は知らなかった。
そう言う意味では学生の時に、図書館司書という職業を知り、他の大学だけれど、司書科に行けば良かったと後悔したことがあったが、これはならなくてよかったと思っている。
学校の図書館に昼休み、放課後と通い、本ばかり読んでいた私だけど、司書という職業は、私には向いていない。
私は本が好きなだけだと、やっぱり最近、気付いた。
結果、父の意見を受け入れ、受験をしないと決めてから、読書に没頭した時間の幸福感を今も、忘れない。
この頃、私の家族のことをよく思い出す。
私も、年を取ったいうことだろう。